(五)八代之儀兎角宮松を置申事ニ而無之被
正保二年十二月廿一日之御書平野九郎右衛門藤崎作右(ママ)衛門持参
猶々伊良子喜左衛門かたより内膳かた迄差越候
状見届候由可申越候以上
又佐渡へ申候北ノ丸より奥かたへ参候様其方より差越
見届候以上
平野九郎右衛門藤崎作左衛門差下候間申候
一、八代向之儀ニ付此中切々指越候状共可披見得其意候
最早別ニ替儀茂無之候間具ニ不及返事候事
一、八代之者共より餘宮内魚住萬五郎差下法事何々の儀此方
へ相尋候其内ニ三齋様被仰置候儀在之由ニ而河内与
左衛門両判在之書物指越候惣而此儀最前堀平
左衛門ニ申遣候首尾今以無相違候委敷ハ作右衛門
口上ニ申候事
一、横山五郎大夫八代ニ付居候内諸事念入彼地之様子其方
両人迄申越候状并書付爰元へ差越候前後首尾無相
違候其上堀平左衛門ニ五郎大夫差渡候書付茂見届候
此段両人ニ而可申渡候事
堀平左衛門罷下り候砌申越候儀共并状披見候事
一、八代之儀兎角宮松を置申事ニ而無之候間其段御老中迄
可申与存候左候者宮松儀いつかたニ屋敷構を仕置可然
候哉其方両人并式部相談之上ニ而存寄所書付差越
可申候其上此方ニて吟味可仕候委敷作右衛門口上ニ申遣
候謹言
十二月廿一日 肥 光尚御判
長岡佐渡守殿
沢村宇右衛門殿
追而さと(佐渡)へ申候おくかたより其方へ之状并道■状も見届候帯刀
へも此よし可被申候式部儀心安存候申也八代表之様子か様ニ
うち■候て条弥其心得尤候以上則火中/\