原城攻撃は28日総攻撃が予定されていたが、27日鍋島藩の抜け駆けがきっかけとなり決戦の火蓋が切られた。態勢はほぼその日のうちに決した。28日の早朝陳佐左衛門が誰とは知らず首をとり、これが大将天草四郎のものであった。この日を以って天草・島原の乱は多くの犠牲者を出して終結した。363年の刻を刻んだ。
細川家は多いに面目を施すことと成るが、膨大な戦費がその後の藩の経済を苦しめることとなる。
この戦がもたらした悲喜こもごもを、諸家の先祖附などでうかがい知った。
天草島原の乱は、徳川家による天下平定後の始めての内戦であり、一方徳川家が倒れて日本最後の内戦(西南の役)を熊本はその舞台として経験している。
これらの戦いの結果として、安定した新しい時代が訪れた。多くの犠牲者に想いを致さなければならない。
(今日は妻の60うん歳の誕生日でもあります)