熊本市役所のサイトでは案内もないようですが、北岡自然公園(旧・妙解寺)の入口が2月14日より変更になります。まさしく以前の妙解寺の正門が入り口となりました。
九州新幹線開業に向けて、整備が行われていましたが、これを機会に入り口が正式な場所にもどったということです。駐車場は元の場所(旧入口)のままだろうと思われますが、少々歩いていただくことになりそうですね。立春を過ぎてさすがに暖かさも増してきました。
どうぞお出かけ下さい。
ガラシャ夫人に近侍し受洗の橋渡しをしたとされる、清原マリアを清原枝賢の娘とするのは、フロイスの「日本史」に記述によるところだそうだ。その名前「おいと」は、石山本願寺の侍大将であった宇野主人が著した、「宇野主人(水)日記」の「オイトノカタ」によるとされる。
しかしながら資料が乏しくコメントが出来ない。
一方小侍従については、ガラシャ夫人に面差しがよく似て代理として秀吉に面談した事などでよく承知をしている。のち平田(松本)因幡に嫁ぎ娘一人(屋々)をなした。こちらは先祖附からはっきり伺うことが出来る。
昭和55年9月毎日新聞社は、大坂築城400年まつりにちなみ、「愛と信仰に生きた細川ガラシャ展」を開催している。その時現存が確認されている、ガラシャ夫人の手紙15点を展示したとされるが、今後再びこのような快挙が起こりうるであろうか。
・こじじう殿 五通
・まつもとのこじじう殿 二通
・松本殿こじじう殿 一通
・松本殿ないぎ参る 三通 ?
・まつもとのかもじ殿 一通 ?
・ゑもじ殿 一通 (越中=忠興のことか)
・そうしゅん殿 一通 ( 不明 )
・ひこのしん■ 一通 (娘屋々の婿・平田彦之進)
このうちの八通が小侍従宛てであるとされている。展覧会の図録に其の全てが紹介されていて今では大変貴重な資料である。
いろんな著作やサイトで清原マリア=小侍従としているのは明らかな間違いである。
いったい何時ごろどのような形でこの二人が混合されることになったのだろうか。
よくよく検証もせず、人様の間違った説を引用しているサイトなど多く見られ、間違いが増殖している。多いに心していただきたいと思う。
【宇野主水日記】[うのもんどにっき]
宇野主水著、上松寅三編纂校訂、『石山本願寺日記 下巻』所収、清文堂出版