津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「堀内傳右衛門覺書」‐(6)

2024-10-28 13:27:46 | 堀内傳右衛門覺書

(30)
一、(吉田)忠左衛門被申候は、拙者は今度裏門より打入り申候、大方隠居候者は、奥座敷裏の方に建申候事、尋常に御座候故、幸と存
  吟
味仕候故、葭(あし)垣有之、雪隠の様成る處に人音仕候故、押破り参候へば、何者か其儘座敷にはいり申者有之候、大かたは臺
  所より仕込申候歟、かこひの様なる所を、兩方よりせり込み候處に、三人居申候て、皿茶碗、又は炭なと投打いたし候故、間十次
  其儘鑓付申候、上野介殿前に兩人立ふさがり、防申もの働き申候、兩人共に討果申候、上野介殿も脇差をぬき、振廻し被申候處を、
  十次郎鑓付ヶ印を揚見候へは、古疵らしき所も見え、白小袖を著にて候、得度吟味仕候へは、上野介殿に極申候、唯今迄もよく寝被
  申候と見えて、蒲団も温に有之候て、刀計有之候、左兵衛殿も、長刀にて出合被申候へとも、手を負、其儘長刀を捨、退被申候、夜
  明候て、長刀を見候へは、金具に定紋付、拵結構に有之候故、扨は左兵衛殿にて御座候と存當り、手むかひ 仕候者は討捨、迯落或
  は構はぬ者は、其儘召置候様にと、兼て内蔵之助申付候故、其通り何事も仕候、扨何れも相圖の笛を吹、惣樣集申候刻、若き者共、
  早水藤左衛門なとは、弓にて長屋の人の居申處を探、上野介殿を討取立退候が、出合申さぬかと、高聲に申候へ共、一人も出合申
  者無御座候、門の脇に家老の小屋と見えて、路地口の戸短く、上をのね板にて繼たる所、一尺計見え申候、内の明りも行燈とは見
  え申さず、蝋燭と相見え申候、早水藤左衛門と名乗懸、二筋矢を射込候へとも、物音なく候故、立退候と咄被申候、それかし答申
  候は、上野之介殿御討取被成候て、府より無縁寺に御立退被成候へとも、住持内に入れ不申候故、泉岳寺え御出のよし、寔に御心
  つかひ共に御座候、翌朝は十五日に候へは、往來と一入多く、御屋敷への辻番も、道すから多く見とかめ、何角申候て、御隙も入
  可申候、無支御出被成候事、天道の御加護と存候ヘは如仰 御登城の御衆と見え、御乘物又は馬にて、御通りの御衆も二三人、御
  目に懸り候へとも、火事場なとへ出候者歟なとゝ思召候やらん、辻番などへ出候や、何之支もなく、泉岳寺へ参候儀、いか様仕
  合なる儀と被申候
一、何れも咄の内に、高田軍兵衛と申す者、小知遣候者にて御座候、此の者は赤穂籠城と承及候由にて、大形一番に罷成申候、然共實
  なき者にて、中々一列に加り申樣成者にて無御座候、然處上野助殿討果、泉岳寺へ立退候刻、三田八幡の近所にて逢申候、何れも
  ものを不申罷通候處、堀部彌兵衛申候は、何れも如此志を遂て、上野介殿印を唯今泉岳寺え持参申候也、披見候へと申候へは、軍
  兵衛申候は、扨々いつれも御心安可被成候、私も只今三田八幡へ社參仕候而、各樣御本意を被遂候樣にとの祈願の爲にとて、立わ
  かれ申候、其後軍兵衛酒なと持參、泉岳寺の門番を頼、内蔵之助其外へ、祝心に酒を持參候、御通被下候へ、御目に懸り度由申候
  に付、若き者共、扨々にくき奴かな、幸の事、是によひ入れ、踏殺可申候、刀をよごし申事迄も無之と申候を、内蔵之助申候は、
  扨々各はあの樣成者を踏殺して、何の益やとて、軍兵衛は呼入申者にて無之候、酒も返給へと、門番に申付由被申候、それか
  し申候は、定而其仁は、平生何に被召仕候ても、能き奉公人と譽申ほどの人にて、可有御座候やと申候へば、いかにも其通にて、
  内匠頭家中にても、大形勝たるもの、何を勤させても、勤かねぬものと被申候、それかし申候は、必々左樣に萬事に能きものは、
  本心の實はなく、世渡の上手にて候、昔も今もおほく御座候、輕薄を以出頭人は、主人をたまし候事、本心の不實故と存候、

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