津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「堀内傳右衛門覺書」‐(5)

2024-10-26 10:08:54 | 堀内傳右衛門覺書

(23)
(大石)内蔵之助大小共相州ものと相見え申候、大亂燒にて、刀の先一尺計のり付居申候、定て上野介殿留をさされたると存候、松葉先

 刃こぼれ居申候、大小共に鞘黒塗金拵にて、小刀は柄は、古き木柄に忠義の語を彫上げ有之、それかし文盲に候へは、よめ不申候事、
(24)
磯貝十郎左衛門大小鞘黒塗、こひ口二三寸朱にて、筋違にぬり、金拵にて、紫かひの口新敷下緒付申候、鼻紙袋は紫縮緬の袱紗にて包、
 右の下緒の切にて結有之、内には琴の爪一つ有之候、此事以後十郎左衛門、其外噺承候、奥に書付置候事、
(25)
近松勘六脇差は鮫鞘にて、二尺餘の大脇差にて抜ヶ不申候故、其儘召置候、夜討の時、泉水にころひ入被申候由にて、水入申たると存候
(26)
奥田孫大夫太刀は、身三尺餘有之、無地之鐵鍔懸り居申候、堅木之壹尺六七寸之柄、切柄之如く仕たる物に而候、小長刀抔の心に而、持
 参被仕たると見え候事
    (編者云本條は異本に據り補ふ)
(27)
堀部彌兵衛、鼻紙袋に竹笛有之候、相圖の笛と存候、小脇差懐中に見へ申候、其外の衆も笛見へ申候、小脇差六七腰有之候事
   但何れも大小の柄は、平打の木綿糸にて巻有之候、いか様切柄の心持にて、手の内能有たると存候、島原一揆の節、山川宗右衛門
   兼て討死の覺悟にて、大小の柄を苧縄にて巻、差被申候由、亡父咄被申候、古今とかはり候へとも、志は同前と感心の事に候、各持
   鑓の柄は、いつれも九尺計に切有之たると見へ申候、身は大振成る篠葉の形、長サ八九寸、幅も廣き所は二寸餘、古身と見へ申候、
   素肌者に能と兼々承及候大形のり付居申候、鞘は大かた無之候、白布にて結有之候、夜討の節、両袖の相印と見え、間には名を
   書付たるも有之候、何れも刀脇差は金拵にて結構に見え候、古身多く新身も有之、錆たるは無之候、いつれも咄被申候は、相手無
   之候へは、手に合不申者多く候、其上迯走候者は其儘捨置、手むかひいたし候はゞ討捨候へと、兼而内蔵之助被申候故、夫故刀脇
   差にのり付居申候は少く、鑓は大かたのり付居申候、其夜の仕合不仕合にて、手に合不申も有之たると咄被申候、一々御尤、御志
   のほとはいつれも御同前に可有之と答申候
(28)
甲府様(綱豊、後の将軍・家綱)御家老小出土佐守殿頼之段、細川桃菴老御聞繼のよし、江村節齋申候は、吉田忠左衛門え申呉候様に
 と、跡妻子の事、少も苦に致されましく候、土佐守どの家來鈴木彦右衛門に能被申付置候、此儀申通度由にて、即剋忠左衛門に申達候
 へは、忠左衛門、常々懇意候間、左様に可有御座候、忝承届との儀申達呉候様に被申候故、返事を節齋え申通候事
(29)
一或時、次之座に出候へは、何れも被申候は、奥田孫大夫に被仰聞候やらん、不存寄儀承候とて歡申候、秋元但馬守様御内に、舅居申候、
 頃日中瀬助五郎殿、太守様御供に御出候得は右之舅罷出、助五郎殿え御目に懸り、孫共何れも無事に居申候段を、孫太夫に被仰聞被下
 候様に、言傳を仕候と被申候故、扨々夫は一段の御仕合と挨拶致候、後に承候へは、右之趣を達御聽候て、言傳を申通候儀に候、助五
 郎それかしに常々心入にて候、同名文右衛門妻に付ての縁と存候、助五郎拙者に被申候は、十七人衆親子兄弟え御通候様に承候、今度
 之儀は、誠に大事に付、不及申へとも、能々御心得候て、内意を可申候御心入にて被仰聞趣、扨々忝存候、いかにも得貴意候事は、但
 馬守様御屋敷にて、右之舅それかし事を聞およひ、尤其名迄被申たるにて可有御座候、尤助五郎に、誰か左様に申たるやと尋も不致候、
 通し申事は偽にて無之、勿論覺悟いたし居申事故、少も驚申事にて無之候事

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■「堀内傳右衛門覺書」‐(4)

2024-10-26 06:57:43 | 堀内傳右衛門覺書

(18)
一或時(富森)助右衛門と噺合居候處に、原宗右衛門立出、いつれも御咄被成哉とて被参候、其時助右衛門被申候は、赤穂にて宗右衛門、
 大野九郎兵衛を追立候様子、御聞被成ぬやと被申候に付、いか様承度と申候へは、宗右衛門申候は、扨々むさとしたる儀を、助右衛門
 は申とて、わらひ被申候故、それかし申候は、かやうに御心易得御意候私に不苦事、御咄承度と申候へは、私は赤穂にては、内蔵之助
 むかふさすに成候て、諸事申談、内蔵之助存念と、九郎兵衛所存と致相違候付、拙者九郎兵衛に申候は、先刻段々承度候へは、御自分
 の思召寄、内蔵之助とは、致齟齬、是に罷在者共、不殘内蔵之助存念同前に、了簡替へたる事に候得は、此座に御滯の事御無用候、早
 く御立候へと申候而立せ申候、其時若立兼候はゞ、其時には打果申候左候得は今度之一列之志は無に成り申候、以後了簡致候へは、扨
 々うつけを盡したると申候へは、助右衛門被聞申やうには、いや其時の様子、中々あの様成る事にてはなきとて、何れも笑ひ被申候事、
(19)
一或時矢田五郎右衛門被申候は、傳右衛門殿には、御道具數奇にて、御目利と承り候と被申候故、いかにも若き時分は數奇にて、目利い
 たし候へとも、大方はつれ候とわらひ申候へは、又々被申候は、いや御尤に候、拙者儀は目利は無調法に候、今度拙者指申候刀は新身
 にて、定て疵有之けるか、物打より後六寸下にて折れ申候、總體其夜之儀、内蔵之助兼而申付、三人宛組合申候、廣間より書院え通り
 廊下の右の隅に、何者か居候三人目の跡に拙者通り候、後より切懸候へ共、拙者は着込仕候故摺手も負不申、ふりかへり切付申候へは、
 初太刀にて倒れ二の太刀にて打折申候に付、心を付見申候へは、此者の下に火鉢有之、倒れ申候を打付候により、折申したると存候、
 夫故相手の刀を取、指替申候との物語有之候事
(20)
堀部彌兵衛被申候は、磯谷十郎左衛門事、別而御懇意被仰聞忝存候、十郎左衛門儀は、是に居申候老人共、別而不便に存居申候、仔細
 は是に罷在候者共、二代三代の勤家久敷者共にて候、拙者は三代前に浪人分にて呼出し申され、後の代に新地を賜り、内匠頭代に、物
 頭に被申付候、右之通代々重恩を受申候故、御覧の通年寄候へは、志計りにて、働も難成門番を致居申候、若き者共は随分何れも挊申
 候と被申候故、此方ゟ答に、御尤の御事、若き御衆の働と、御老體の門番と、事は同事と答申候、又被申候は、十郎左衛門事は、其身
 一代にて、拙者肝煎にて、十七歳の時、小兒姓に被召出、僅十ヶ年の内の勤にて、古き者共同前の志にて候、其朝も、仕廻候て立退候
 節、金杉橋をいつれも通り、將監橋を渡候迚近に十郎左衛門老母被居候故、立寄暇乞をも仕候へと、内蔵之助を始、何れも申候へとも、
 いかゝ存候哉立寄不申候、嗜故と存被申候故、扨々彌兵衛殿御咄にて、貴様御事承り、御嗜之程、慮外ながら感心仕候と申候得は、夫
 はて彌兵衛殿が、能様に咄を仕たで可有御座候、拙者事いかにも幼少より被召仕、別て念比にて段々被取立、江戸小屋なども廣く申付
 候て、老母も緩りと召置、古き者共の重恩におとり申事、さら/\無御座、成程立退候節、内蔵之助を始傍輩共も、立寄候て老母に逢
 候へと申候へは、先は装束も目立、第一老母居申候處は、小身とても御屋敷に對しぶしつけと存、又は暫時の間も、いか様の義か可有
 之も難計、
にて立寄不申候、唯今存候へは無何事立退候に、些後悔にも存候と笑ひ被申候、誠以別而感入候事、
(21)
(富森)助右衛門被申候は、仙石伯耆守様え参候節、今度の一巻御聞被成、被仰候者、上野介屋敷え仕懸候時、輕き者を捕へ案内致さ
 せ、蝋燭を出させ火燈させ申候儀、扨々落付たる仕方、誰にて候哉と御尋に付、磯貝十郎左衛門にて御座候と申候へば、若き人の落
 付たる義と、殊の外御感し被成候由被申候事
(22)
一或時(吉田)忠左衛門被申候は、拙者若き時分、軍法を數奇にて承候、采拜を所持いたし居申候、もはや今度果申儀にて候へは、内蔵
 之助にも隠し候て所持いたし候、御取寄被成候道具の内に可有御座候間、御焼捨させ可被下候へと、被申候、改見申候へは、柄は黒ぬ
 り、丸の内剣菱の紋、金粉にて、両方一つ宛、柄の先に三ヶ所に付、白紙に所々血付たるにて包有之候、以後いつれも道具共に不殘、
 泉岳寺へ被遣候時、右之采拜も一同に参候事、
   但十七人衆の刀、脇差、鑓、長刀、懐中の小脇差、鼻紙袋等、仙石伯耆守様より、匂坂平兵衛に御渡被成候、受取参候芝御奉行所
   にて、御側衆一覧之刻、我等も一座にて見申候通書付置申候、右刀脇差、同名平八心付にて札を付置、泉岳寺へ被遣候節の爲とて、
   大小の候刀箱、十七さゝせ、紺の木綿風呂敷にて大小を包置候事、

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