落穂ひろいという言葉思い出すコメ不足 津々
つい一週間ほど前までは、近所のスーパーストアでもコメ不足状態であったが、最近は平積みの山ができていてなんだかほっとさせられる。
一方では古古米などがインターネットで売られたりしていて、今年のコメ不足状態の一端をうかがわせている。
「落穂ひろい」という言葉を思い出すとともに、ミレーの絵なども頭に浮かんだ。
私くらいの年齢の人は、「落穂ひろい」を経験された方は結構多いのではないかと思う。
私が幼少期を過ごしたところは、余り田んぼが広がる場所ではなかったが、友達のI君は家がお百姓さんだったから、秋の刈り入れ時一度だけ遊びに行ったときに手伝った覚えがある。
帰りにはその落穂を持たせてくれたが、二三日(?)縁側で干したのち祖母が一升瓶に入れて棒でついていたことを思い出す。
一合にも満たない量だったとは思うが、獲れたての新米を食したという事になる。
江戸時代の下級武士は「扶持米」というものを頂戴した。一人一日五合を例えば三人家族であれば「三人扶持」といった具合だが、一日二食の時代であれば食べるだけであれば十分すぎる。残りは「銭」に換金したのだろう。野菜や味噌醤油や薪木などの購入に充てられた。
知行取の家でも、主人が若死にすると幼い男子があってもこれが成人するまでは、「扶持米+合力米」を頂戴する身分となる。
我家にもそんな時代があってご先祖の苦労のほどが偲ばれるが、「五人扶持五石」等という記録が残る。
男子が十五歳ほどにもなって知行が旧に復すると、大いにお祝いをしたのであろう。
今年のコメ不足減少はわずかの期間だったが、やや慌てふためいたことを瑞穂の国の民だなと感じたところである。
こないだ買った2㌔の不洗米がそろそろ底をつくからまた買いに行かねばならぬが、店先には新米が山済みでもう心配することはない。
農業機械の進歩で今の時代「落穂ひろい」などは全くないのだろうと思うが・・・如何。