津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「堀内傳右衛門覺書」‐(2)

2024-10-21 06:46:24 | 堀内傳右衛門覺書

(12)
一町御屋敷よりは、林兵介・村井源兵衛・堀内傳右衛門三人代合、芝御屋敷八木市太夫・吉弘真左衛門此両人共五人にて、両人宛
 代合、夜番相勤申筈被仰付候、三宅藤兵衛方被申聞候者、今度之一巻には、十七人之面々え、此方様御内より噺懸候事、堅無用
 に候、あの方より噺かけ候共、唯返答計にて相濟様子に有之候はゞ、咄止可申候、其心得にて動候やうにとの事故、其覺悟にて
 罷在候、然とも能々了簡いたし候へは、今度之事は古今不承及忠臣高名、それかし武士たる事、別而若き者共は承置度可存候、
 萬一御赦免にて、いつれも寄合申候刻、數日之御馳走、侍中大小身共罷出、如形挨拶をもいたし候得は、今度一巻を終に尋もな
 く、間には咄聞可申と被存も可有之候へとも、此方仕懸次第には、いな事とや可被存、右之通りの筋、藤兵衛方度々御申聞候、
 外之御三人様にても、夫々に思召寄かはり可申候、此儀はとかく透を御
見合、荒増の様子御聞可然存候、いかゞ思召候哉と、色
 付の御間にて、九郎右衛門、平八に噺懸候へとも両人いかにも尤に存候、承置度と晝之内は、御側方段々出被申、遂も無之、夜
 食なと過候様子なと見合可参とて、卒度罷出候へは、思ひ/\にはなしゐられ候、能時分と存、九郎右衛門、平八に只今能折か
 らと申聞候へは、其儘両人共座へ罷出、吉田忠左衛門・原宗右衛門を片脇に呼寄、閑に今度の一巻、荒増承候由被申候事、
(13)
一翌晩夜に入、原宗右衛門、紙數の物を書被申、夜更候て仕廻、翌朝とぢ被申候に、小刀無之候故、八木市太夫を頼みとぢ被申候、
 今度の一巻の書付と承申候、夜前九郎右衛門、平八一巻の荒増尋申候故、又尋の人も候
はゞ、右之書付見せ可申との事、是を御
 書所にて、市太夫とぢ被申候刻、寫取候由、
 上之御間
  四十二歳(一本四十五)  六十三歳        五十二歳         三十七歳         六十二歳
   大石内蔵之助良雄  吉田忠左衛門兼亮  原 宗右衛門元辰  片岡源五右衛門高房  間瀬久太夫正明
  六十一歳         七十九歳        六十九歳         四十歳
   小野寺十内秀和   堀部彌兵衛金丸   間 喜兵衛光延   速水藤左衛門満堯
 次之御間
  二十九歳         三十九歳        三十四歳         三十五歳         二十五歳
   磯貝十郎左衛門正久 近松勘六行重    冨森助右衛門正因  潮田又之丞高教    赤埴源蔵重賢
  五十七歳(一本五十五)  二十九歳        二十七歳
   奥田孫太夫薫森   矢田五郎右衛門助武 大石瀬左衛門信清
    但磯貝は上之御間之に候得共、速水と申合せ入替り被申候事、
(14)
一或時、富森助右衛門え参候て申候、拙者儀旦那代々召仕候ものゝ忰にて、末子にて候故輕き奉公に罷出候、江戸定供に連れ被申、
 段々取立、小知をも賜、追々加増をも申付、物頭竝に申付候、近年は年罷寄、供役・使をもゆるされ、寛々町屋に居申候、今度
 各様え
罷出、得御意候様にと被申付候、若時分より一両年以前迄、駕の明立の役を申付候、夫故江戸表の儀、あらまし存居、京
 ・大阪其外道中筋之儀も能覺申候、居屋敷に詰候ては、門の出入自由ならず、町屋敷え居候得は、晝夜共に何方へ参候事も支無
 之候、いつれも様御事に候へは、越中守為にならぬ儀は、可被仰聞様も無之、何そ被仰聞度儀も可有御座候へとも、拙者爲にな
 らぬ事と、御遠慮之氣味も有之候やうに見及申候、御忠義の御心底を察候へは、拙者身命を惜み申事、日本の神毛頭無之、御心
 安被仰聞被下候はゞ、本望武門之冥加に叶たると存候、尤貴様御一人に不限、殘御衆中御同前に存居申候、御一人御一人へ申達
 候儀も、何とやらんいなものに候、私の心底を殘る御衆中へも、御噺被下候へと申候へは、扨々御深志淺からさる儀共存候、何
 れへも申聞候はば、忝く存可申と被申、其後殘面々も、追々禮等被申候事、
 
 

コメント
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