津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■去年の記事から

2024-10-24 20:05:37 | ご挨拶
 
■堀内傳右衛門の話は嘘か本当かという疑問

 熊本藩年表稿の頁をめくっていて、寛永17年7月19日「白川より川尻へ船通水道、開通工事予定あり」という「奉書」からの引用として紹介されている。はたしてこの船通水道は開通した......
 

 ちょうど今、堀内傳右衛門覺書をご紹介しているが、一年前のこの記事は同じ傳右衛門が書いた「旦夕覚書」にある記事である。
「旦夕覚書」の記事は、綿考輯録などにも引用されているが、ここで上げた白川から川尻に至る水路整備の記事には食い違いが見受けられる。
傳右衛門の話も大変具体的で、私はこの説を信用してきたが、どうも旗色が悪い。
決定的な資料が出てこないものかと、目を光らせているがなかなかお目にかかることができない。

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■「堀内傳右衛門覺書」‐(3)

2024-10-24 10:02:47 | ご挨拶

(15)
(大石)内蔵之助被申候者、若き者共其外何れへも、御深志之儀共、於私も扨々忝存候、寔に御心易存居申候、少是へ御寄被成
 候へ、御咄申度事共候と被申候故、御心易思召被下忝とて、側に差寄候處に、内蔵之助被申聞候は、いや別之事にても無之、今
 度之儀を、定而御傍輩衆中御批判と察申候、是に居申候者共、大かた小身なる者計にて、大身成もの可有之と、思召も御はつか
 しく奉存候、尤大身なるものも加り候へとも、皆了簡を替、不及力候、先奥野将監と申候は千石にて、番頭を仕居申候、今度赤
 穂にて、私と何角申合、御目附荒木十左衛門様え、書付をも差上、口上にても申上候儀有之、江戸へ御歸座以後、即刻土屋相模
 守様へ委細被仰上候間、左様に相心得候へと、私并に将監え、十左衛門様より御書付被成被遣候故、両人共に江府え御禮に罷越
 候、右之通にて御老中様御存之将監も心替仕、其外城代申付候、佐々小左衛門と申者、三百石にて、吉田忠左衛門よりは高座に
 召仕候、いや此小左衛門は、若き時分御當家に居被申たると承り候が、御覺はなきやと被申候故、我等答候には何とやらん名は
 承候様に存候得とも慥に覚不申、惣體越中守入國、幼少之時分、段々暇を遣し、或は暇をもらひたる者共御座候、其内にて御座
 候哉、しかと覺不申由を答申候、又被申候は、近藤源四郎、小山源五右衛門、河村傳兵衛なと申者は、知行も多く遣し、足輕も
 預置、是に罷在原宗右衛門より上座に申付置候、剩右之内には、拙者遁ぬ者も有之候、一旦加り了簡を替不及力と咄被申候、自
 是申候には、御心易思召、委細の譯も可有御座候へとも、唯今各様え被對候ては、被仰分も有御座ましく候、各様今度之御様子、
 兎角を可申上様も無御座、傍輩共も打寄感申候、總體身重き者は、小身者には劣り身命を捨かね候と、古今申傳候、定て御聞及
 も可有之御座候、肥後國先國主加藤清正は、度々の武功の後、肥後半國御拝領被成候刻、同國天草の戦の時、木山弾正と申者と
 鑓を合せ候事、清正公御一代の勇道を御ためし被成候と、常々御自談にて御咄被成候と申傳候、其外古今の勇將にも可有御座候、
 扨々今度の御事、とかくを不被申候、皆共小身にて難儀は仕候へとも、昔物語を承り、小身者もたのもしく存候て、傍輩共の大
 身の前にても、思ふ事申散し候と挨拶仕候、右之内には、内蔵之助伯父有之との事
(16)
(富森)助右衛門被申候は、十七人の者共、些物語有之度との事別の事にても無御座、拙者共儀今度之事定て斬罪にて可被仰付
 候、天氣晴候て、所柄成共能候へかしと願居申候、然處各様御咄、又は世上の批判を承及、はや奢が付き、萬一切腹なとゝ結構
 に可被仰付や、左様之節は、御屋敷に可被仰付やなとゝ、奢が付き申候、若左様にても候はゞ、十七人は夫々宗旨もかはり候へ
 は、寺々の坊主共、又は一類なと、死骸を被爲拝領候様に願申にても可有御座候、必す被下間敷候、泉岳寺中空地有之處に、四
 十六人共一つ穴に御埋被下候へと被申候、それかしの答には、扨々御尤成る御事に候、成ほと御意は去なから、左様之儀は有御
 座間敷候、行末長く得御意申様に成行可申と挨拶いたし置候、大御目附長瀬助之進え、右之趣噺申候へは、尤なる事と感心被致
 候事
(17)
(吉田)忠左衛門被申候は、助右衛門より我々共之願を御頼申候處に、御快御請合被下、何れも忝存候、夫に付て拙者も又其上
 に御心遣に相成申度事御座候、是に金子少々所持仕居申候、是はいなものを所持いたし候と可被思召候へとも、持來候故捨もい
 たしかたく、其儘致所持候、是を夫へ進可申候間、白布御調させ二重の大風呂敷を被仰付、四方につかりを御付させ、死骸の見
 へ申さぬやうに、其儘くりよせ候様に仕度候、御覧の如く年罷寄大からに候へは、いか程に仕候ても見苦敷も可有御座候それか
 し申候は、承知いたし候、然とも此儀は 公儀よりの被仰出次第の儀にて可有御座候哉、先は難計候、此方打寄、幾通りにも申
 談、諸事之儀何も支申事も無御座候、若も思召の通にも被仰付候事も御座候はゞ、如御望可仕候、金子御遣し被成候に不及事と
 申候、御尤成御頼致承知候、乍去助右衛門殿へ得御意候如く、行末ながく得御意候様に成行可申と、挨拶いたし罷立、右之趣を
 長瀬助之丞に申達候へは、尤成事と涙をなかし被申候事、右之通いつれもそれかし心易被存、何やかや頼有之事故、助之丞御役
 柄故些不審に被存體に付、此方助右衛門え返答之趣不殘申聞候へは、助之丞被申候は、扨々尤なる手前了簡に候由、寔にいつれ
 も摩利支天と存候と被申候、助之丞御用に付、堀部彌兵衛を折々呼び立、咄被申候事共有之候、此趣も殘衆中はいな事と可被存
 候、助之丞心底をいつれも申達呉候様にと、助之丞被申候故、助右衛門なとへ申達候へは、殘衆も承被申て、扨々忝、助之丞殿
 へ御出仕之上、分而御禮を申事もいかゞに候、いつれも忝かり申候段、宜申呉候様にと被申候に付、其段猶又助之丞え申達候事、
 

 

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