(96)
一鎌田軍之助・長瀬助之進我等へ被申候は、心安衆有之候て若介錯を頼被成候事も可有之候、仁柄極書付御目附衆へ出申候、其心得仕候樣
にと被申候、然共箇樣の事頼被申候事無之候事
(97)
一同名平八に申談候は、何そ書置度被存候衆も可有之候、いかゞと申候へは、御目附衆へ尋候へは不苦候、料紙御出し候へ、不及申御内見
にて、御届候へと被仰候故、料紙硯坊主衆に持せ、堀七郎兵衛罷出、御目附衆へ相伺、少も不苦候、何そ御認度儀も候はゞ、御認被成候
樣にと、内蔵之助に向ひ被申候、其時内蔵之助何も認可申事も無之、重畳忝と被申候故、七郎兵衛引取申候、拙者も内蔵之助に、右の通
申候へは、七郎兵衛殿にも申候通にて、此間は段々御馳走難有仕合、難申盡候と被申候に付、其本にて候はゞ、承度と申候へは、扨々忝
存候、此夏の頃は、定て御供にて此元御立可被成候、内々御咄申候樣に、八幡を御通被成候砌、御非番にて御座候はゞ、大西坊へ御立
寄、今日の被仰渡、天気もよく、箇樣/\と御咄被下候へ、次男共方へ通し申事に候、我等申儀は、得貴意申候、當番たりとも、傍輩共
申合せ、立寄可申候間、御心易思召候へと申候へは、悅被申候、前以内蔵之助被申候は、大西坊は八幡山に居申候、これは譯も御座候
間、拙者家より段々繼來候、只今の大西坊は、實は従弟にて御座候へ共、公義は私甥と申上候由申候事
(98)
一吉田忠左衛門は、内々御咄申候伊藤十郎太夫と、御心安御語被下候へと被申候事
(99)
一(原)惣右衛門は、大きに封したる狀を指出被申、内海道憶へ内蔵之助より之上書也
(100)
一(大高)源五右衛門は、内々御咄申候朱柄の鑓、泉岳寺へ殘置候、是は先祖備前と申す者鑓にて候、生殘たるもの共へ遣度、頼被成申
候に付、其夜林兵助、泉岳寺へ被遣候に付、咄申候へは、兼て兵助も、右之趣は存知居申候事
(101)
一(間瀬)久太夫は、近頃憚成る申事に候へとも、此度腹中悪しく御座候處に快罷成候、萬一麁末成儀も可有御座候間、承置呉候樣にと
被申候、扨々被入御念候儀共、少も御氣遣被成間敷候、慥に承置候と申候へは、悅ひ申され候事
(102)
一(小野寺)十内笑ひ被申聞候は、私妻の歌、此間惣右衛門に御書せ被成候と承申候、今日之樣子、京都弓削太郎衛門迄被仰遣候へは即
刻通し可申候と被申候に付、太郎右衛門は必易者にて候、早々可申遣と申候へは、悅被申候事
(103)
一(間)喜兵衛は、何ともものは不被申、笑ひ/\指出し辭世の歌と書付給候事、歌は前條之内に書付あり
(104)
一(磯貝)十郎左衛門は此間別て御心易被仰聞忝存候、老母兄弟共事被附於心被下候へと被申候、御袋様をも、私母と奉存候と申候へ
は、悅ひ被申候事
(105)
一(堀部)彌兵衛内々御咄申候樣に、同名甚之丞に御酒を給申候樣に、御下着の上、御咄可被下と、笑ひ/\被申候事
(106)
一(近松)勘六は、如御存知此間手を痛居申候處に、外科本道衆まて御付置被下、御懇意の仕合故、昨日迄に快成候て、箇樣の事誠に難
有儀と奉存候、長福寺にて文良に御傳被下候へと被申候故、得貴意候と申候事
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