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前回までで、こういう考えが出てきました。
創世記で「われわれのかたちに人をつくろう」と言ったのは、どうもイエス(この世にくる前の、霊としての)らしい。
そして、その「我々」は霊イエスと彼に付き従う天使らしい、ということが。
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さて「考える宗教」もう少し続けましょうか。
エデンの園のところにもどって
少し聖書の言葉(聖句)を読んでみましょう。
創世記の第三章です。
まず、やさしいところから。
イブに語りかけたのは悪魔だったと理解されています。
これは、万人が認める解釈です。
けれども、聖書には「蛇が語りかけた」と書いてあります。
これはどういうことか。
悪魔が蛇に変身したという解読もできでしょう。
だがそうすると、イブを誘惑するという役割を果たした後には、蛇は姿を消してしまうことになるでしょう。でも、後にも蛇は存在し続けます。
ですからここは、悪魔が蛇を用いた、と考える方がいいでしょう。
悪魔は霊です。
霊は意識波動を発します。
蛇に影響を与えて、そのように使った、と。
がとにかく、誘惑を試みた本体が悪魔であると考えるのは正解でしょう。
聖書では一貫して、人間を苦しめるのは悪魔ということになっていますから。
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難しいのは次の聖句です。
イブとアダムに「知識の木の実」食べさせるのにまんまと成功した悪魔に対して、創造主はこういった、と聖書に書いてあります。
「わたしはおまえの子孫と女の子孫との間に敵意をおく」
(創世記、3章15節)
こういう言葉が突然出てきています。
このままでは、何を意味しているのか、まずわからない言葉です。
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悪魔は霊です。
霊は子孫を産まない、というのが聖書の論理です。
悪魔には人間のような、自分で生む子孫はありえません。
だから「おまえの子孫」といわれると、困ってしまうんですよね。
これはなにかを比喩(たとえ)的に言っているとしか考えようがありません。
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もう一つは「女の子孫」。
これもこのままでは不可思議至極ですよね。
男女の子孫とか、人間の子孫ならともかく、どうして女の子孫だ。
こちらはもう、次のような解読しかないのではないでしょうか。
聖書では、霊の資質は男親を通して伝わるという思想ですから、人間についてあえて言うなら「男の子孫」でしょう。あるいは「アダムの子孫」とか。
これをわざわざ「女の子孫」というのは、次のような根拠しかないんではないか、と。
つまり、イエスは聖霊によって処女マリアがみごもって生まれた存在、ということに新約聖書ではなっています。だから、イエスだけはアダムという人間の男の子孫ではないことになるのです。これを踏まえて、ここはイエスのことを言っているのだろう、と。
もちろん、このイエスは霊としてのイエスではなく、この世に「人の子」としてやってきて肉体をとって生誕するイエスです。
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これで「女の子孫」については筋が通りました。
引き続き、「考える宗教」を進めていきましょう。