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=聖句=
「時に、ユダヤ人の仮庵(かりいお)の祭りが近づいていた。そこで兄弟たちがイエスにいった。
『あなたがしておれれるわざを弟子たちにも見せるために、ここを去りユダヤに行ってはいかがでしょうか。自分を公にあらわそうと思っている人で、隠れて仕事をする人はありません。あなたがこれらのことをするからには、自分をはっきりと世に顕しなさいよ』」(7章2~4節)
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7章に当たる部分を、ヨハネは「仮庵(かりいお)の祭」の時期におけるイエスの行動を記述することに割いています。ユダヤ歴の正月(太陽暦の9~10月)の15日から7日間(のちに8日となる)がその期間です。
この時期、ユダヤの人々は、屋根を草木で葺いた仮小屋を建てて、秋の収穫物を天井からつるします。かつてエジプトを脱出してカナンに入るまでの40年間を荒野で過ごしたと「出エジプト記」に記されている先祖の苦難を忍ぶためです。また、それ以来今日までの創主が与えてくれた護りに感謝するのです。
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エルサレムの神殿にも、この時期多くの人が集まってきます。イエスの弟たちは、祭りが近づくとイエスに勧めました。「エルサレムへ行きなさいよ。そして、お兄さんの奇跡を集まってくるみんなに見せなさいよ。こうして公にすべきでしょう」と(3-4節)。
ヨハネはそれについては
「こう言ったのは、弟たちもイエスを信じていなかったからだ」(5節)
~~と、解説を入れています。珍しいことです。ここで「信じる」とは「イエスの教えの神髄を理解し受け入れる」ということでしょう。
イエスは、かねがね、「自分が教え、奇跡をなすのは、人間の意識を創造主にまっすぐに向けさせるためだ、そして、天の義を第一に大切なものとして求めさせるさせるためだ」という主旨のことを言っています。
「それは人間が自らの霊に、創主から福を与えてもらうようにするためである。この世で肉体が有名になるためではないのだ」というのが真意でしょうね。
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ところが弟たちは、それがわかっていなかったんですね。そこで「お兄さん、ここは絶好のチャンスですよ。エルサレムに全国津津浦々から集まってくる群衆に奇跡を見せるんだ。そして一気に全国区のスターになってしまいなさいよ」などと勧めています。
彼らは、イエスが十字架死して復活した後に真意を知るでしょう。だが、この時点では全然わかっていない。ヨハネはそれを言っているわけです。
ヨハネ自身はどうでしょうね。彼も今ふりかえってそれを悟って書いているのか。鹿嶋はそうではなさそうにおもいます。このことについては、ヨハネはもう理解していた、そのうえでイエスに付き従っていたと思われます。