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7章に入りましょう。
誤解を恐れず端的に言うと、ここはインターミッション(幕間:まくあい)のような章かもしれません。ヨハネはここでは、彼独特の深い神学をあまり多く記してはいません。まるで、思索を一休みして周りに目を巡らすように、周りの情景を多く描いています。
その背景の基にこれから展開される深遠な教えを、ちらり、ちらりと予告編のごとくに提示しています。歌劇の序曲や間奏曲で、テーマがチラチラと顔を出すような風情。それらを含めて天下の情勢を描いているといってもいいかもしれませんね。
そういう意味で、ヨハネは6章までで一息ついているのではないでしょうか。ヨハネ福音書は、ここまでを一区切りとして読むのがよさそうです。
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イエス時代のイスラエルは、南のユダ地方と北のガリラヤ地方との二つの地域からなっていました。真ん中にサマリヤ地域があって、これを挟んで二つの地域が分断されたような形で存在するといった状態でした。ユダ地方は昔からのイスラエルの中心地で、イエスの生まれたベツレヘムも聖地エルサレムもここにあります。
対して、ガリラヤ地方は、昔は北の荒れ地だったという感じです。そこに、新しくユダヤ人が移植されて出来た新開地だったのです。イエスはここで成長し、父ヨセフについて大工の仕事をしていました。
大阪のネオン街は、南と北とに分けて呼ばれていますよね。ミナミは、難波を中心とした旧地域。キタは梅田(大阪)駅を中心とした新しい地域です。「キタの新地」というのは、それを示す呼び名であります。イエスは、キタの新地の人だったんですね。
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紀元前10世紀頃からイスラエルは、南のユダ王国と北のイスラエル王国とに分かれて国家運営がなされておりました。そして、紀元前8世紀には大国に成長したアッシリアによって、イスラエル王国は滅ぼされ吸収されることとなりました。
その際、南のユダ王国は、どういうわけか吸収されないで存続しました。さらに南にある大国、エジプトと直接接触しない方が国家の安定を保つにはいいと、アッシリアが考えたというのが通説です。つまり、ユダ王国をバッファー(緩衝地域)としておいておく政策ですね。
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アッシリアの王様は、一つの夢を持っていたようです。各々が民族として分かれて暮らしている人間を、混血させて一つの世界民族のような方向に向かわせるというのがそれです。そして、そういう融合政策を実施しました。
北のイスラエルの民も、他民族と混じるように各地に移住させられ、他民族の民と結婚させられました。彼らは混血化していきました。
こうして出来たのが、混血ユダヤ人です。後に彼らの多くは、サマリア地方と呼ばれた地にもどってきて住みます。そこはイスラエル地域のちょうど真ん中あたりに位置していました。
しかしユダ王国の純血ユダヤ人は、彼らを軽蔑し、仲間に入れませんでした。そして彼らを、サマリア人という別名で呼んだのでした。
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イエスが育ったガリラヤ地方は、かつてのイスラエル王国の北方にあった荒れ地だったようです。そこには、南北イスラエル時代には、ほとんど人は住んでおりませんでした。後年になって、ユダ王国の純粋ユダヤ人が移植されていった。そして、村が出来、町が出来ていった。
イエス時代のガリラヤ地方は、いまの大阪というよりむしろ、日本史での徳川時代初期をイメージしたらいいかもしれません。南のユダ地方は京都を中心とする近畿地域、ガリラヤ地域は新開地・江戸を中心とした関東地域といったぐあいに。