鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

理不尽じゃないの!

2005年10月11日 | 「考える宗教」へ
                  



 前回の続きです。
 アダムがつみびととなることが、イエスが悪魔のしわざを打ち壊すために必要だった。そして、悪魔の仕業を打ち壊すのが、イエスがこの世に出現する4000年も前に決まっていたのなら、アダムがつみびととなることも決まっていたはずだ。
          ~~前回、そう考えてきましたね。

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 そうすると、さらにこう考えることが出来てしまいます。
 人類がつみびとになるのは、そもそも、人間がこの世に存在して初めて可能になることだ、と。

 すると、さらに考えは進みます。だったら、創造主が人間(アダム系統の)を造った(存在するようにした)のは、悪魔のしわざを打ち壊すためではないのか? と。

 こう推論していくと、われわれは衝撃を受けます。

 われわれは、生まれてこの方、人間中心の人本主義の観点から世界をみています。聖書もそう読んできています。それをあまりにも当然と思っている。だからそれ自体を問題に感じたことはなかった。

 聖書は人間を幸せにすることを中心目的にして、創り主が一生懸命働く物語だと。そういうことを人間に与えたメッセージだと・・・。

 なのに、これでは人間を道具として造ったことになってしまう。
 これは人間道具論だ!と。
 衝撃ですよね。

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だけどその角度からみると、いろんなことが新しい側面を現してくるから不思議です。

 イエスは人間を自分の形に作りましたね。イエスや天使がすでに我々と同じ形で、先に存在していた。その形に人間を作った、と解読することも出来る、といいましたね。

 これをどこにおいたか。悪魔の支配する世界の中に、こともあろうに天の王国と同じ性質の楽園を造って、そこに置いたんですよね。

 そして、アダム(とイブ)の身体には、創り主と交信できる霊を入れた。そして彼らだけは、悪魔と違って創り主と意識が協和しているようにした。その結果、彼らは法則通り、あふれる幸福を受けることになります。

 これをみたら、悪魔が嫉妬しないわけがないでしょう。
 だまして、二人を不幸にしてやろう、と思わないわけないでしょう。

 そして、二人に「知識の木の実」を食べさせるのは、容易なことです。
 悪を知らないイブなのですから。

 そして、二人とその子孫である人類は、基本的に不幸の人生を歩むことになります。

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 だけどそんなことは、全知の創り主(霊イエス)にわからないわけがありません。
 わかってやっているはずです。
       なのに、どうしてそんな存在(人間)を創るのよ! 

 もしそれを、なんの理由もなく創主がしたという論理でしたら、どうでしょうか。
 この話は理不尽とならないでしょうか。

 理由はある、それは人間を道具として必要だったからだ~~~これも、理不尽な感じを全く与えない、ということはありません。

 だけど、なんの理由もなく不幸で、苦しむ存在を「出現させた」としたら、それはもっと理不尽ではないでしょうか。
 次回以降でそのあたりを含めて考えていきましょう。

コメント
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