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前回の続きです。
アダムがつみびととなることが、イエスが悪魔のしわざを打ち壊すために必要だった。そして、悪魔の仕業を打ち壊すのが、イエスがこの世に出現する4000年も前に決まっていたのなら、アダムがつみびととなることも決まっていたはずだ。
~~前回、そう考えてきましたね。
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そうすると、さらにこう考えることが出来てしまいます。
人類がつみびとになるのは、そもそも、人間がこの世に存在して初めて可能になることだ、と。
すると、さらに考えは進みます。だったら、創造主が人間(アダム系統の)を造った(存在するようにした)のは、悪魔のしわざを打ち壊すためではないのか? と。
こう推論していくと、われわれは衝撃を受けます。
われわれは、生まれてこの方、人間中心の人本主義の観点から世界をみています。聖書もそう読んできています。それをあまりにも当然と思っている。だからそれ自体を問題に感じたことはなかった。
聖書は人間を幸せにすることを中心目的にして、創り主が一生懸命働く物語だと。そういうことを人間に与えたメッセージだと・・・。
なのに、これでは人間を道具として造ったことになってしまう。
これは人間道具論だ!と。
衝撃ですよね。
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だけどその角度からみると、いろんなことが新しい側面を現してくるから不思議です。
イエスは人間を自分の形に作りましたね。イエスや天使がすでに我々と同じ形で、先に存在していた。その形に人間を作った、と解読することも出来る、といいましたね。
これをどこにおいたか。悪魔の支配する世界の中に、こともあろうに天の王国と同じ性質の楽園を造って、そこに置いたんですよね。
そして、アダム(とイブ)の身体には、創り主と交信できる霊を入れた。そして彼らだけは、悪魔と違って創り主と意識が協和しているようにした。その結果、彼らは法則通り、あふれる幸福を受けることになります。
これをみたら、悪魔が嫉妬しないわけがないでしょう。
だまして、二人を不幸にしてやろう、と思わないわけないでしょう。
そして、二人に「知識の木の実」を食べさせるのは、容易なことです。
悪を知らないイブなのですから。
そして、二人とその子孫である人類は、基本的に不幸の人生を歩むことになります。
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だけどそんなことは、全知の創り主(霊イエス)にわからないわけがありません。
わかってやっているはずです。
なのに、どうしてそんな存在(人間)を創るのよ!
もしそれを、なんの理由もなく創主がしたという論理でしたら、どうでしょうか。
この話は理不尽とならないでしょうか。
理由はある、それは人間を道具として必要だったからだ~~~これも、理不尽な感じを全く与えない、ということはありません。
だけど、なんの理由もなく不幸で、苦しむ存在を「出現させた」としたら、それはもっと理不尽ではないでしょうか。
次回以降でそのあたりを含めて考えていきましょう。