りんたろう君。
前回、人の心には在物神が自然に湧き上がる~と言ったね。
物の中に染み込んでいると想像される神イメージが、在物神だった。
<万物の創造神>
ところが、人類はあるとき、もう一つの神イメージをもつようになった。
「万物の創造神」略して創造神だ。
「万物」は自分以外のすべての存在。
これを創造した神、と言う意味だ。
ということは、「物質も、その中に内在するとイメージされる神々(霊)も」造ってることになる。
この神からすると、(他の)万物は「被造物(ひぞうぶつ)」ということになるね。
<様々な属性>
この神は、いろんな属性を、理屈として考えることが出来る神だ。
たとえばそれは、他の万物に「先行して」存在しているはずだ。
だって、「創造した」んだもんね。
物質も、その中にいるとイメージされる神々をも「あらしめた」んだもんね。
こういうことは、筋道、道理として考えられる。
人間には筋道を考える能力が与えられている。
これを理性という。
この理性を使って考えられるんだね。
<空間的無限者>
他にも例えば、無限大の大きさを持っている、というのもある。
これは直感的にもイメージできるだろう。
被造物に比べて、とてつもなく巨大だと。
だが、理性を使うとそれに留まることなく、その大きさは無限大とわかってくる。
だって、その大きさが有限ならば、その外側の物は「オレが造った被造物」とは言い辛いもんね。
どこまでも限りなく大きい。
無限大という記号(∞)は、算数(数学)でもやったよね。
創造神は、空間的に無限者なんだ。
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他にも色々ある。
それを一つ一つ知っていくのが、「創造神を知っていく」ことになる。
そして創造神を知るのはキリスト教の中心課題でもある。
<外から与えられる神イメージ>
今回は、以上のようなところだが、一つ追加しておくことがある。
それはこの創造神という神イメージは人の心に自然発生はしない、ということだ。
ではどうして心に存在することになるのか。
「外から与えられて」である。
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これを与えているのが、聖書というキリスト教の教典書物だ。
ここには、「(自分以外の)万物を創った創造神がいる」とのメッセージが記されている。
このメッセージを受容してはじめて、人の心にはその神イメージが存在するようになるんだ。
今回はここまでとしよう。