前回~
エデンの園は、今の先進国世界をもってきても、比較にならない超幸福世界だった~ことを示した。
だが、こういう意見も出るだろう。
~もしホントにあったとしても、それはもう過ぎ去った世界だ。
今更懐かしがっても、今の我々には役立つものでないよ。
我々人間は、今の世を~基本的に荒野であろうと~改良し続ける以外に道はないのだから~と。

<イエス、「天の王国」を説く>
ところが聖書の世界は盛り沢山だ。
後に「人の子」としてこの世に現れるイエスは「天国」を説く。
天国とは正確には「天の創造神王国(God's Kingdom of Heaven)」だ。
そこはエデンの楽園と同じように、飢えも病も死もない世界。
そして人間には、死後そこに入る道が備えられている~とイエスは説く。

<人は死後復活する!>
より詳しく言うと、人の霊は肉体を抜け出して復活する~とイエスはいう。
そしてそのうちのイエスの言葉を心に受容した霊(人の意識の本体)は、~エデンと同じ性格の~その天国に入れるというのだ。
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実際、イエスの宣教の中心は、その天国(日本語では「御国」ともいう)の説明に置かれている。
そして、人の死後、復活する身体についてイエスは次のように述べている。
(ここは聖書解読のポイントになる重要なところだから、少し詳しく述べる)

<復活の身体の有様を教える>
サドカイ人(人の復活はないとするユダヤ人)が、イエスに少々意地悪そうな質問をする~。
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「律法では、長男と結婚した嫁(女)は、彼に死なれると、その弟(次男)と結婚せねばならない~とありますね。
(以下、次男が死んだら三男、三男が死んだら・・・と続く)
そこで質問ですが、男たちがみな死んで、最後にその女が死んだ場合、もし、復活があるのなら、彼女はだれの妻になるか」~と。
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イエスは答える~
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「誰の妻にもならない。復活した人間の身体は天使のようになっていて、もう娶ることも嫁ぐことはない。以前の夫婦関係はなくなっている」~と。
(するとイエスを受け入れて天国に入る霊の復活体も、天使のようということになる)
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(マタイによる福音書、22章23~33節参照)

<アダムとイブの楽園での身体>
イエスのこの教えは、エデンの楽園におけるアダムとイブの身体を~前回より今一歩深く進んで~イメージするに、有益な手がかり(ヒント)になっている。
聖書には、エデンの園では、二人は~
「裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった」
~とある。(『創世記』2章25節)
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そしてあるとき創造神の言葉を心から閉め出す。
悪魔の惑わしにのせられて、戒めを破ってしまう。
すると二人は~
「突然、裸であることを恥ずかしく感じて、そしてイチジクの葉をつなぎ合わせて腰の周りを覆った」と聖書にある。(『創世記』3章7節)
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この流れは、イエスの上記の教えを援用すると、次のように理解できる~。
すなわち~、前半の二人は、創造神と霊が完全協和の状態にあって、死がなかった。
死がないから、その身体は生殖への動因もない天使のような身体だ。
天使は霊だけで出来た存在だ
肉体を持たないので生殖活動をしないのだ。
二人の身体はそういう性質のものだった、~と推定できる。
<「死」が入って身体が変容>
ところが二人は、創造神の言葉を心から閉め出した。
かくして「死」が入った。
死が入ることによって、二人の身体は変化した。
生殖の動因が生じ、生殖の準備反応を起こしてしまった。
これが~
「突然、裸であることが恥ずかしくなり、イチジクの葉をつなぎ合わせて腰の周りを覆った」~ことの理由だと解せるのだ。

<天国の性質を認識させる模型>
こう考えると、天国とエデンはあい対応した楽園と認識することも出来る。
これをうけて、エデンの楽園は「天国の模型」と言う人もいる。
本物の至福の世界である「天国」を、前もって地上で模型として示したのがエデンの楽園、というわけだ。
そうであればエデンの園は、人間に将来の本物の楽園があることを認識させる手がかり情報として、役立ち続けていることになるだろう。
今回はここまでにしよう。
