前回、聖書の歴史視野は、人間の視界を「こじ広げて」くれる、と述べた。
意識世界の拡大は、人間が社会の中で精神の自由を維持するのに必須なことだ。
今回は、それを説明する。
なお、これに関する事柄の多くを、鹿嶋は著書『聖書の論理が世界を動かす』新潮選書(序章)でのべている。
だが、もう25年、四半世紀も前の本だ。
重なるところも多いが、あらためて示してみよう。

<民主主義制度は決定方式の一つ>
人間の精神の自由を達成し維持するには、民主主義制度が必要だ。
民主主義制度とは、社会全体に関わる事項を決定する方式の一つだ。
その際、社会の全構成員に決定権を均等に配分するというやり方だ。
「主義」というのは、「この方がベターだ」という意味を持っている。
だから民主主義というのは、他の思想と「比較をして」いう概念だ。
そして、この場合、比較されているのは独裁主義だ。
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独裁制も、一つの決定方式だ。
そして独裁主義とは、社会全体の決定事項を、一人の人間に集中させるのがベターだという思想だ。

<独裁制の利点>
独裁制には、民主制に勝る利点がある。
1.決定の速度が速い。
2.情報の機密性が守られやすい。
~などがそれだ。
だから、戦争の時などには、独裁的な体制が選択されやすい。

<民主制の自由実現力>
独裁制のその利点は平和時にも健在だ。
にもかかわらず、近代以降人々は、社会を民主制に向けて進めている。
構成員に精神の自由を最も大きく与えるという利点を持つからだ。
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たとえば、誰を徴兵して戦場に差し向けるかという決定の際に、その性格は端的に表れる。
この決定は、構成員一人一人の人生、幸福に大きく影響する。
その決定権が、一人の人間の手に握られていたらどうなるか。
人は恐怖感の中で暮らさねばならないだろう。
こういう事態は、精神の自由を大いに妨げるのだ。
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民主制はその逆で、みんなが決定にあずかる権利をもつ。
それが恐怖心を縮小し、精神の自由をもっとも大きくする。

<個々人に政治見識あることが大前提>
だが、この制度が機能するには前提がある。
構成員個々人が、政治事項の知識と見識を十分に持っていなければならない。
もたねば、その意志決定は盲目的になる。
民主政治は、衆愚政治になって社会は機能不全に向かう。
(戦後70年の今の日本に、その兆候は現れている)

<聖書の歴史視野は意識世界を拡大する>
だが、政治事項は、人間の日々の生活の関心事よりも、広域的な事柄だ。
人は、自然なままでは、政治事項にまで意識範囲を広げたがらない。
精神的エネルギーが多大に必要になり、苦痛が大きいからだ。
(在物神宗教の盛んな日本ではとりわけそうだ。人の精神が物質のなかに没入する習性が顕著なので、等身大を超えた広域的な事柄に意識を向けるのが大きな苦痛となるのだ)
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この事態は、普段から広域的な思考空間でものを考える活動があって初めて打開される。
そしてその活動として有効なのが、聖書の歴史視野を抱くことだ。

<自由吟味活動のダントツな拡大力>
また、聖書思想の吟味活動をすると、その力はとりわけ大きくなる。
この活動を日頃から個人で行い、かつ、小グループにおいても行う。
多くの人がこの活動をすると、社会に民主制を実現する力は、ダントツに大きくなる。
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それを歴史事実で実証したのが、『バプテスト自由吟味者』ミード著、鹿嶋訳・解説、(編集工房DEP発行、株式会社かんぽう発売)だ。
この本は、聖句自由吟味活動者たちが、ほとんど独力で、北米大陸で人類史初の民主制国家を実現した事実を明かしている。
欧州社会で王制が廃止され、近代民主制が実現したのも、実は米国で実現したこの新制度が波及した結果だ。
米国でこれを実現させた自由吟味者が、この運動を欧州に広げたのだ。
第二次大戦後には、その動きは、日本、韓国、台湾にまで広げられている。
戦後我々日本人が自由を享受できているのは、その恩恵による。
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聖書自由吟味活動が人々の心に強い自由志向をもたらす、その心理過程については、もう少し詳細な説明がいる。
だが今回はここまでにしよう。
