前回示したように~
エデンの楽園と天の創造神王国を視界に入れると、(霊のある)人間世界の歴史は~
「エデン ⇒ 荒野 ⇒ 天国」
~というパースペクティブ(視野)になる。
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だがそういうと、また、こんな疑問も出るだろう~。
エデンとか、天国とかそんな空想的なものを持ち込んだって、どうだというんだ。
そんな視界は、現実世界に生きている我々の人生や生活に、なんの役にも立たないのでは~と。
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確かにそう見えるが、役立つところもある。
こういう広大な視野は、人間が持って生まれた想像力では思い描けないものだ。
外から与えられる世界史ビジョンを受信することによって、われわれは「人間が独力では出来ない範囲に」視野を広げられる。
<「万物の創造神」イメージがすでに視野を拡大>
実は、「万物の創造神」という神イメージは、すでにこの役割を果たしてくれていた。
私の話を思い起こそう。
それは、「見えない影響者(神)」のイメージからはじまった。
人間は「神」のイメージを持たずには生きていけない生きものだ、~という事実認識から始めた。
だが、人は持って生まれたままでは、在物神(物質の中に存在するとイメージする神)しか思い浮かばない。
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その状況に、聖書は「外から」万物の創造神という神イメージを導入してきた。
それによって、人類は初めて、神イメージを広げることが出来た。
そういう神が実際に存在するかどうかは、探究していけばいいことだ。
とにかく、これを与えられることによって、我々のイメージ世界は、こじ広げられたのだ。
<エデンも視野をこじ広げる>
エデンの楽園も天国も、それと同じ役割をする。
こんな世界は、人間の経験知識からだけでは、思い描けない。
漠然と「夢のような幸福社会・・・」とは思えるかも知れないが、具体的積極的かつ詳細にはイメージは描けない。
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これらによってわれわれの世界歴史観は広大化した。
すなわち~
創造神はまず、霊ある人間を~
① エデンの楽園に住まわせ、
② 次に荒野に住まわせ、
③ そして最後に本物の楽園に、信じる人間を住まわせる。
~という歴史ビジョンが、我々の意識領域を拡大するのだ。
繰り返すが~
エデンも天国も、永遠の世界で「時間」はなく、持続感覚だけがある。
そこは死もなく、飢えもなく、生殖の必要もない。
その身体は天使のようだ。
将来、信じた人間はそうなって、天の王国で永遠に暮らす。
~聖書はそういう歴史観を導入して、人間の視界をこじ広げてくれるのだ。
今回はここまでにしよう。