鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol. 21 「百ゼロ思考」

2005年12月07日 | 「考える宗教」へ



 聖書はかくも素晴らしい討究素材であり知力向上教材なのに、信仰者になっても聖句の門に踏み込まない人が内村、新渡戸らの例外を除けばほぼ皆無なのはどうしてでしょうか。今日からは、どうして日本人はそうなるか、を考えましょう。


                   


 実は門前均しをする人にも、門の入り口で「こんな本には真理はないよ」と叫んでいる人にも、両者に共通したものがあるのです。

 それは、ものごとを100%とゼロ%とで考える習性です。英語ではこれを「オール・オア・ナッシング」の考え方と言いますから、鹿嶋は日本語の名前を付けましょう。

 曰く・・・・「百ゼロ思考」
 でも、日本語の語感としては「ゼロ百」の方がいいかな? まあ、両方使うことにしましょう。

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 日本人には歴史的に、この思考方式に縛られる人が多いのです。この考え方の対極にあるのは、「確率思考」です。ものごとを、百かゼロかで考えるのでなく、何パーセントかと可能性を考える考え方です。

 宗教分野ではとりわけ、この「百ゼロ思考」にひとは縛られやすいです。そこにはみえない世界の論理が含まれていますし、この論理が中核になっていますからね、宗教では。

 だから「お前は信じるのか信じないのか」と問う。あるいは自分に対しても「私は信じようか信じないでおこうか」と自問する。そうなりやすいです、宗教では。

 だけど、この分野にだって確率思考は出来ますよ。みえない世界の論理に対してその「確からしさ」を問うということは可能です。あるいは洗礼を授けられて「あなたは信仰者です。おめでとう、おめでとう」といわれても、「いまこの論理に対する私の信頼感は何パーセントくらいかなあ・・・」と考えることは出来る。

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 聖書という書物が「創主からの真理のメッセージを記した本」といわれても、「人間が文字で記録したのだから、100%それを記録出来てることはないだろうな・・・」とか「人間が受信したんだからまあ、その何パーセントかを含んでいるだろうなあ・・・」と考えることは出来ます。

 こういうと「不信仰者!」とか「異端!」とかいう金切り声がニッポンキリスト教の方から飛び出しそうですが、まあ、好きなようになさればいいでしょう。だけどあなたと私との違いは、信仰者、不信仰者という「百ゼロ」の違いではありませんよ。


                    


 あなたと同様に私も、聖書という書物に信頼を置いているのです。同じ信頼者ですよ。ただ、あなたの思考法が「百ゼロ方式」であって、私が「確率方式」であるだけですよ~~鹿嶋はそう考えています。

(続きます)


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1 コメント

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寒い日が続きますが (みいこ)
2005-12-13 19:38:55
最近、更新ありませんが風邪でもひかれてないですか?

お体に気を付けて

またブログの更新を楽しみにしています

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