鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

23.聖句解読の知恵~人間の限界を知る~

2018年04月05日 | 安全なキリスト教の学び方

 


りんたろうくん。

今回は、聖句の「解釈」について考えておこう。

これまでに述べた聖書の話は、わたし・鹿嶋の私的な解釈だ。

聖書には「天国とはこれこれ」とか「天使とはこれこれ」とかいうように、整理された文がストレートに書かれてはいない。

聖書の中のある部分(聖句)から推察を巡らせて、私が造ったストーリーだ。


 
 

<解読の事例>

たとえばイエスが最後に捕らえられるときに発するこんなことばがある。

「わたしが父にお願いして、12軍団よりも多くの御使いを、今私の配下に置いていただくことが出来ないとでも思うのですか」(マタイによる福音書、26章53節)

~これから、「ああ、天使は軍団状に組織されているのではないかなあ」という推察が出来る。

そして、その仮説でいって、他の聖句も筋の通った解釈ができると、「天使は軍団状に組織されていそうだ」というストーリーが~暫定的ではあるが~出来上がる。

解読とは、概してそんなもんだ。
 
 
 
 

<唯一絶対の解読に人間は到達不可>

こう聞くと、「その解釈は絶対正しいものか」という疑問が湧くだろう。

答えは「否(ノー)」だ。

おそらく唯一絶対の解釈は存在するだろう。

だが、聖書の述べる世界は、時間に於いても、空間に於いても無限の範囲に広がっている。 さらに、目に見えない霊界にも及んでいる。

そんな記述を相手に、限られた知力しかなく、その寿命も限られている人間が、唯一絶対な解読に達することは出来ない。

+++

できるのは、個々人がそのゴールを遠望して、その時々にいけるところまで行くということだけだ。

(それを生活に活かすにもそうだ。その時点、その時点での解読を踏まえて決断し生きていくのだ)
 
 
 
 

<個人の聖句解釈の自由>

そしてそれを現実に実り多いものにするのは、まず第一に、個人に聖句解釈の自由が与えられてなければならない。

まずとにかく、現時点での知力と霊感を動員して、思う存分な解読が出来る条件を造ってあげるのだ。

これは大切な原則で、英語では Freedom of Personal Interpretation (of Bible)といっている。

 
 
 
<スモールグループ原理>


だが、それだけだと、個々人が「ひとりよがり」の解釈に留まってしまいがち、~というマイナスが生じる。
 
そこで、もう一つの現実的な原理が浮上する。
 
それは~
 
各々が数人でなるグループを任意に結成して、自由な相互吟味の会を周期的に持つのだ。
 
これは英語では、Principle of Small Group Discussion などと言われる。
 
 
 
 
 
<「数人」:経験が産んだ知恵>
 
「数人」という所には、経験からの知恵がある。
 
周期的な相互吟味会が実りあるものになるには、各々が他のメンバーの基本見解を記憶しているのが必要だ。
 
すると、散会後もそれを生かした思考が出来るし、次回の議論での効率が飛躍する。
 
そしてそれには、10人では多すぎる。
 
多くて記憶が出来ないのだ。
 
また、2人や3人だと、「ひとりよがり」を脱却する力が弱い。
 
経験上、5~6人が最適なんだ。
 
 
 
 
 
 
ともあれ、
 
① 個人の聖句解釈の自由。
 
② スモールグループを結成しての相互吟味。
 
~この二つの原則が、限られた知力と寿命を持った人間が、実りある聖句解読を実現するのに最適な方法なのだ。
 
今回はここまでにしよう。
 





 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 22.「宇宙という牢獄」のなかで | トップ | 24.仲介者が介入する在物... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

安全なキリスト教の学び方」カテゴリの最新記事