復活の論理の、もう一つの枝を宣べよう。
前述したように、悪魔は、人間の心理にある「イエスを十字架死させたい」という思いをあおって殺させた。
この時、悪魔の死の波動は、一旦、イエスのいのち波動を制する。
だが、まもなく創造神のいのち波動は、これを圧倒、逆転する。
御子イエスを生きかえらせる。
<破壊をもたらす権威を剥奪>
この事件は次のような側面(論理の枝)をももっている。
~悪魔は人間の意識を操作して、創造神の子イエスを殺させた。
これは、悪魔の本性が明るみに出たことでもある。
全存在界の最高の権威者である創造神に対してさえ、どこまでも敵対する、という本性だ。
敵対心の極地は「殺意」だ。
それが創造神の子、イエスを殺すことによって明るみに出た。
証拠があがった。
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これで天国(そこには創造神が統治する政府があり、裁判所もある)の裁判所で裁きが下った。
天国は地上界の上位にあるので、その判決は宇宙にも、地上界にも貫徹する。
悪魔には有罪の判決が下った。.
悪魔は刑の執行を待つだけの身分となった。
悪魔はもう、従来容認されていた死の波動を駆使できなくなる。
「破壊の権威」を取り上げられる。
こうして聖句にある「悪魔のワザ(力)を打ち壊す」は実現されたこととなる。
<罪の代償作りも枝の一つ>
もう一つの枝もある。
罪無きイエスの死が、人類の罪の代償になったことだ。
この波動体の内に意識を住まわせた人間には、それが実現する。
これがいわゆる「救い」の道が開かれたことだ。
この場合の復活は、イエスが罪なき存在であることを証明した(証拠づけた)ことになる。
このように、「救いの道」というのは復活がもたらす枝の一つなんだ。
イエスの死と復活という事件は、多くの枝を持っているのだよ。
今回はここまでにしよう。
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