創造神の波動ワールドを構成する意識波動体を具体的に眺めることを続けよう。
今回は、 ④ 健康(悪いところすべてが新創造された完全な健康)だ。
<不備な器官が再創造される>
これはこの世で病院や医師によってもたらされる健康、回復した健康ではない。
身体の不備な器官が、新しく再創造されて実現される健康だ。
御国のパワーでもたらされる天国の健康。
<イエスの癒しはすべてこれ>
イエスのもたらす健康は、みなこの再創造によるものだ。
例えば彼は、中風で足の萎えた人を歩かせている。
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「・・イエスは中風の人に『起きなさい。寝床をたたんで家に帰りなさい』といわれた。
すると、彼は起き上がって家に帰った。
群衆はそれを見て恐ろしくなり、こんな権威を人にお与えになった創造神をあがめた」
(マタイによる福音書、9章6-7節)
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このとき衰えた筋肉、骨などは新しく再創造されている。
(旧い骨や筋肉はその瞬間蒸発しているだろう)
だから癒やされた人物は、そのまま歩き続ける。
もしも「この世的」な医学による癒しであれば、しばらくしたらまた歩けなくなるだろう。
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聖書には、被造界の創造は、『創世記』の冒頭部分だけに記されているのではない。
イエスがこの地上に「人の子」として来るとき、御国の属性を持った空間(天国空間)を彼は連れてきている。
(天使も多数従えてきている)
だから彼の癒しはすべて「創造」の属性を持った癒しとなるのだ。
<「百ゼロ」意識は恐怖感の源>
そして、今回も繰り返すが、こういう話の可能性を「100%かゼロ%」かという見方で認識したらいかんよ。
どちらの可能性も、人間の心理に現実に起きうることではない。
それにとらわれていたら、「100%信じないと神様に罰せられるのでは・・・」と恐れることになる。
また「そんなことはゼロ%だ」と考えたら、「そんな不信仰でいたら神様に罰せられるのでは・・・」と恐怖感に襲われることになる。
どっちにしても、待ち受けているのは恐怖感だ。
この感情を伴った心理状態は、危険の源で、安全でないのだよ。
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こういう「百かゼロか」の両極しかない通念から、一日も早く脱却する。
そして、理性が指し示す可能性「五分五分」から認識を進めるのだよ。
でないと聖書の解読は間違って行ってしまうからね。
今回はここまでにしよう。
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