創造神の波動ワールドを構成する波動体の話にもどるが、前回述べたことを、繰り返し示そう。
波動ワールドなどというのは「見えない世界」の話だ。
まず、信仰者読者および「こういう話を心に抱いていてみたい」と思う読者にひとこと。
~これを「百パーセント信じなければならない」などと決して思わないように。
人間にそんなこと出来ない。
なのに「絶対信じないと」と思うと恐怖感がやってくる。
その苦しみから逃れるには、「あんな話は間違いだったのだ」と思うしかない。
ところが人間は「見えない影響者」を思わないでは生きられないようにできている。
そこでまた「絶対信じられるもの」を求めていく。
「百ゼロ習慣」をもつ者は、この百とゼロとの間を行ったり来たりする。
これが日本民族大半の心情だ。
日本人の一人として、情けないが、これが現実だ。
<オウム教団事件も「百ゼロ」から>
そこに銘柄大学の研究者たちがつけこまれたのがオウム教団の事件だった。
これは日本人の「百ゼロ思考」習慣のもつ危険が絵のように現れた事象だったのだ。
多くの人が死に、かついまも、研究者だった死刑囚たちが刑の執行を待っている。
<「笑わせるな・・」は客観的ではない>
「見えない世界の話」について、そんなもの存在しないよ、笑わせるな!」というのが理性的であると錯覚しないように。
それは「見えない世界の存在確率はゼロだ」といってることだ。
実はそれは感情的なことなのだ。
だって、見えないのだったら「存在しない」ともいえないはずだろ?
こういう世界の話には、理性は「可能性五分五分」と判断する。
そこから始めるのが、知性的なことなのであって、それを神様が「不謹慎!」などと怒ることなどないからね。
心配しないで。
では始めるよ。
<「平安」は波動実体>
今回は、創造神の波動ワールドを構成する意識波動体のなかの~、
③平安に満ちた静けさ~だ。
この概念も日本語にはない。
ただ「音がしない」だけ、とか、「静寂」「静謐」とかの概念はある。
だがこの波動は「平安に満ち満ちた静謐」の波動なのだ。
これを示す英語には calm という語がある。
だが日本人にはpeaceful calm と言わないとわかりにくい。
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「平安」の語はイエスが繰り返し弟子たちに投げかけていった言葉である。
それは一定の空間の中に満ちる「調和の波動」とでも言うべき実体(波動実在)である。
イエスはそれを、弟子たちを遺して十字架死する直前(最後の晩餐の時)にも述べている。
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「わたしは諸君に平安を遺します。諸君にわたしの平安を与えます」
(ヨハネによる福音書、14章17節)
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創造神の持つ平安波動である。
当面、そういっておく。
<「天国」の波動実体>
ここで一つ追加する。
イエスの言う平安だけでなく、① グレースの愛も ② トルースも、さらに④以降に述べる意識波動も含めて、すべてが存在する空間がある。
それが「天」である。
これは「創造神が王として統治する王国」であり、いわゆる「天国」とか「御国」はそれを言っている。
御国はそうした波動体が満ち満ちた空間である。
そしてもう一つ。 その天国空間(その性質を持った限定的な空間)は、地上にも降りてくる。
イエスが地上に来て以降、そういう事象が生じる。
(だから、創造神の波動ワールドに人の意識波動体は「入って住まう」ことができるわけである)
その限定空間では、創造神ワールドの波動構成体以外の波動(「世」の波動)は留まれなくなって、出ていく。
イエスはそれを~
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「わたしが創造神の御霊(聖霊)によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう創造神の王国はあなたがたのところに来ているのです」
(マタイによる福音書、12章28節)
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~との言葉で示している。
<「絶対信じなければ」は間違い>
いやぁ~、夢のような話だね。
だが、りんろうくんもこれを「100%絶対に信じなければならない話」として聞いたり読んだりしたらいかんよ。
「見えない世界の話は五分五分」としたらいいし、そうすべき。
「安全なキリスト教」のためにもそれは必要だ。
今回は、ここまでにしておこう。
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