マサチューセッツを黙認させるに至った後、聖句主義者はどうしたか。
なんとこの地を拠点にしてさらに他州に進撃を開始しました。
ニューヨーク、ペンシルバニアへと前線を広げ、フィラデルフィアなどの諸都市に
聖句主義教会を造っていきました。
このときまたも驚くべきことが起きました。
この状況の中で今度は大覚醒運動と呼ばれる現象が発生したのです。
1700年代に入ると火のような名説教をする巡回伝道師が排出し、町々村々のちまたで
大衆による聖句解釈の激論がおきました。
その波紋が霊的な不思議現象も伴って広がり、巨大な信仰復興のうねりが起きた。
これが第一次大覚醒運動(Great Awakening)です。
(大覚醒光景1)
こういう運動を仕掛けることが出来たのは誰かについては読者の想像力にゆだねますが、
とにかく起きた。
ケンタッキー地方で勃発したと言われるそれは各地に波及し、
自己の信仰を悔い改めた熱烈な回心者を何千何万と生みだしました。
霊的に覚醒し信仰に燃えた回心者は最初は組合派教会や長老派教会に殺到しました。
だがこういう通常方式の教理主義教会では彼らの熱い心を収容できないのです。
失望した回心者たちは方向転換して、今度は聖句主義のバプテスト教会になだれ込みました。
彼らの熱気で教会内にも意図せざる大覚醒運動が起きました。
(大覚醒光景2)
新約聖書に~
「先の者が後になり、後の者が先になることが多いのだよ」
~というイエスの言葉があります(「マルコによる福音書」、10章31節)。
いまや新参者の激しい情熱に、旧教会員はついて行かれませんでした。
彼らは自らを正規バプテスト(Regular Baptist)と称して、新会員と区別しました。
新参者は分離派バプティスト( Separative Baptist:旧教会から分離してきた
新参バプテスト聖句主義者という意味)と呼ばれました。
この呼び名は分離派ピューリタンを連想させますね。
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そしてこの分離派グループの勢いは止まりませんでした。
マサチューセッツ州での彼らは、政治の先進地バージニア植民地に
大挙して突入していきました。
突入と言っても戦を仕掛けるのではありません。
数人から10人くらいに別れて、各々、聖句吟味をし、
礼拝をするというバイブリシズムの教会活動をします。
その一方で教会の小冊子やビラ(トラクトという)
をばらまいて参加の勧誘をするわけです。
すると、聖句吟味活動のもつ精神性の深さに触れて
電気に打たれたようになる人が続出するのが通常です。
こうして、あちこちで小グループ教会が成長していく。
それがバージニアの伝統的教会である聖公会にとっては
衝撃の事態になるわけです。
自教会の信徒が転向すれば、教会員数が減少していくのですから。
私は、英ピューリタン牧師のバクスターや、ここでも取り上げられたロジャー・ウイリアムス、その他クエーカーのウイリアム・ペン、大覚醒運動の中心ジョナサン・エドワーズといった人々に興味をもっていて、のんびり調べるつもりです。
ピューリタンが基本理念としていたもので、聖句主義とまったく相入れない観念にテオクラシイ(神政政治)があったと思うのですが、いかがでしょう。
知識不十分です。
勉強します。
そして、挿入できる適切な場所を探してみます。