<やっぱ、おとぎ話だよな・・・>
天使の話を続けよう。
賛美の天使長たちは、追い落とされた宇宙の中で、悪魔に変質する。
日本での聖書の解釈は、大体、ストレートに「悪魔になった」という話にいく。
牧師先生も、それはそういうことにして、この悪魔関連のことはパスしてしまう。
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だけど、この天使の悪魔化の話は、そのままだとやはり奇想天外な印象のままになるだろう。
その結果、「聖書に書いてあることはやっぱりおとぎ話なんだ」という思いが産まれる。
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そこで、ここで少々筋道だった論理内容を示しておこう。
また、しち面倒くさい理屈の話になるけれど、やっておくね
<霊にも生死がある>
天使は全身が霊で出来た霊的存在だ。
人間は肉体を着てはいるが、その内にあるのはやはり霊だ。
肉体は死ぬと崩壊して消滅するが、霊には崩壊はない。
だが、霊にも生死がある。
<いのちエネルギーの充電度>
聖書では霊は充電式乾電池のようなイメージの存在だ。
充電される電気に当たるのは、「いのち」と記されている実体だ。
これは物理学でいうエネルギーのような概念だから、私は「いのちエネルギー」と言ってるよ。
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霊の死は、この「いのちエネルギー」が充電不全で枯渇した状態を言う。
すると霊は「死霊」になる。
逆に充電が十分だと、活きた霊である「活霊」になる。
<創造神から放射されている>
「いのちエネルギー」は創造神からあまねく放射されている波動だ。
だが、それを吸収・充電するには、霊の意識が創造神のことばを受け入れ、ワーシップ(親愛を持って拝し賛美すること)している状態になければならない。
それがないと、霊は充電不全になっていくんだ。
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このあたりをめぐる全体像とその詳細を次回に説明しよう。
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