「鬱を打破する聖書の論理」なんと今回で50回目だ。
探究してきて、わかったのは~、
鬱は「抑うつ」であり、それは人間に生来与えられた、精神、肉体の両面に渡る資質が、上から抑圧されることによって生じた葛藤、混乱による苦しみである、~ということだった。
具体的には「生きよう」という意向が「生きるに値せず」との思いによって上から下に向けて抑圧されたことによって生ずる、心奥での、心的エネルギーの激しい葛藤、苦しみであった。
現代の精神医学は、それに盲目で、患者の肉体(脳神経系)にやたら神経鈍化剤や脳興奮剤を、無慈悲冷酷にぶち込んでいる。
それによって患者は地獄の苦しみに陥れられ、廃人にさせられている。
現代精神医学は、まさに悪魔の手先を演じている。
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事態の打破は、福音の力によるしかない。
そのため、イエスを愛し同一化した「イエスの人」は、福音の二本柱~①宣教と②偉跡による証明~を、素直に、怖れず実施すべきだ。
~以上がこのシリーズの大筋だった。
<キリスト教の再入門シリーズ>
さてこれからしばらく、改めての「キリスト教入門」を語ってみようと思う。
同類のことがらは、『聖書の論理が世界を動かす』『誰もが聖書を読むために』『神とゴッドはどう違うか』(以上すべて新潮選書)でも述べてきた。
特に「誰もが聖書を」はほとんど文字通りの「キリスト教入門」でもあった。
だが、今回「福音の二本柱」をやっと悟ったことによって、これまでにない「入門手引き」が書けそうな予感がするのだ。
タイトルは「(西欧を知るための)キリスト教再入門」といったような感じになるのではないかな、、、・
抑うつ関連で、述べたいことはまだあるが、それは適時この「再入門シリーズ」の中に臨時版として差し挟んでいこうと思う。
50回にわたってフォローしてくださった方々に感謝します。
次回からの、「キリスト教再入門」の話も引き続きご愛読下さい。
(完)
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