今回は~
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「①信じる人々には②次のようなしるしが伴います。
すなわち、③私の名によって
④悪霊を追い出し、
⑤ 新しいことばを語り、
⑥ 蛇をもつかみ、
⑦たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、
⑧病人に手を置けば病人はいやされます」
(マルコによる福音書、16章17~8節)
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~の「⑤新しいことばを語り、」である。
結論から言うと、この「新しいことば」はいわゆる異言(いげん:strange tongue)のことを言っている。
これはまず事例で示した方がわかりやすい。
<「マルコの部屋」での出来事>
イエスは復活して昇天するとき、「(故郷に帰らないで)エルサレム市内に留まっていなさい」という命令を弟子たちに与えた。
信徒たち200人ほどが大部屋(「マルコの部屋」と呼ばれる)に集まっていた。
すると、突然轟音がその家全体に響き渡り、この部屋では炎のような舌が一人一人の上に留まった。
すると各々が、他国のことば(自分の理知では理解できない)で話し出した。
エルサレム神殿に参拝に来ていた人々は、轟音に驚いてそのマルコの部屋に走り、突入した。
すると信徒たちは、彼ら参拝者たちの国のことばで、各々「ワ~ワ~」と語っているではないか!
それを見て、彼らは怪しみ驚き「連中は酒に酔っているのだ」などと言った。
語っている信徒たちの大半はガリラヤの人だったからだ。
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こういう事件が新約聖書『使徒行伝』2章に記録されているが、ここで信徒たちの口から出たのが異言である。
<「聖霊のバプテスマ」に関する諸説>
この事件は「聖霊のバプテスマ」とも呼ばれる。
その構造はこう理解できる。
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聖霊は「父・子・聖霊」の一つである創造神(霊)である。
創造霊だから、そこからいのちエネルギーが常時湧き出ている「いのち波動の源泉」だ。
この波動が、信徒たちの頭を、帽子をかぶせるように包んだ。
すると当人の意識は「聖なる天の意識」になる。
<「天の父」が示したこと>
このことは『マタイ伝』16章13-20節におけるイエスのことばで示されている。
イエスが連発する奇跡に驚き、人々は彼のことをバプテスマのヨハネだとか、エリヤだとか、そういう預言者の一人だと噂していた。
イエスは弟子たちに尋ねた、
「では諸君らはどう思っているのか?」
弟子の一人ペテロが応えた。
「あなたは(人間ではなく)生ける神の御子キリストです」
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するとイエスは言う。
「バルヨナ・シモンあなたは幸いだ。そのことを貴君に示したのは、人間ではなく、天の父です」と。
そして~
「私がキリストである、と誰にも言ってはならない」と釘を刺した。
<ヨナの子・シモンよ>
余談だが~
「バ」とは「子」で、「バルヨナ」とは「ヨナの子よ」という意味だという。
「ヨナ」は旧約聖書『ヨナ書』に出てくるヨナで、彼は海に溺れて死にそうになったのに大魚が飲み込み吐き出して死ななかった。
そしてニネベという街にいき、3日の道のりを1日で巡り尽くして創造神を伝道した。
その結果、ニネベの人々はみな創造神のことばに立ち返った。
このように、1日にして全員が創造神を信じた、というスーパーマンだ。
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シモンというのは、ペテロの本名だから、「バルヨナ・シモン」というのは「ヨナの子・シモンよ」と呼びかけだ。
イエスはペテロに、こう呼びかけたのである。
<「まだ他の誰にも言うな」>
預言者というのは、当時、飛び抜けて高い尊敬を受けていた。
そういう特別の人だったが、人間である。
だがペテロは、「あなたは(そうではなく)創造神の子・キリストです」と言ったのだ。
「キリスト」というのは「救い主といいう職分」の名である。
ペテロはイエスを「あなたは救い主という職分をもってこられた神の子です」といったのだ。
するとイエスは~
「そういう認識をさせたのは天の父(創造神)だ」といった。
どういうことかというと~
この創造神は、後に、聖霊であるとイエスは示す。
そういうことになる「聖なる意識波動体」だ。
つまり、聖霊がペテロを覆い囲んだがために、その意識波動の影響でペテロは「神の子」と自然に認識した。
でなければ、ナザレ村出身の聡明な青年で、大工の子で、せいぜい預言者という「人間」という認識にしかならない。
~イエスはそれを知っていたので「他の誰にもそれを言うな」と命じた~言ってもわからないから~ことになる。
イエスが、多くの他の人々に聖霊を送るのは、もっと後になる。
そしてそれが開始されたのが、上記の『使徒行伝』2章の出来事だった。
<「聖霊のバプテスマ」に関する諸説>
話を戻す。
このマルコの部屋で起きたことは、現在「聖霊のバプテスマ」と呼ばれている。
ただし「聖霊のバプテスマを受ける」というのも、いろいろに解読されうる。
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『ヨハネ伝』14章では、イエスは~
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「わたしは父に願って、私とは別の助け主を送ってもらいます。
その方(聖霊)は・・・(中略)・・・諸君とともに永遠に住まわれます (abide with you forever)、
そして諸君の内に入り(will be in you)ます」
(ヨハネによる福音書、14章15-20節)
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~といっている。
この「(諸君の)内に入る」を「(諸君の)霊の内に入る」と解し、そのときに上記「マルコの部屋」におけるように、異言が口から噴き出すのだ、との解読もできる。
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聖霊は「父・子・聖霊」の一つである創造神(霊)である。
それは創造霊だから、そこからいのちエネルギーが常時湧き出ている「いのち波動の源泉」だ。
これが人間の霊の内に入ると、突然、その霊は活性化し、聖なる思いがあふれだす。
霊はフロイト精神分析学では、意識の最基底層にある潜在意識であり、それは全意識の根底となる。
ここから思いがあふれ出たら、それを日常の地上のことばでは表すには追いつかない。
なので、「異言となってことばがあふれでれるのだ」と構造理解する。
そしてこれを「聖霊のバプテスマ」をうけたしるし、と解するのである。
<「信じた全員に入っていく」との見解>
かというと、イエスを信じてバプテスマを受けたら、聖霊は徐々に当人の内に入っていくのだ、~との解釈もある。
その場合は、異言が口から噴き出すことはないが、当人は異言を「語る」ことができていく、というのだ。
この時の異言は、意図的に語る異言だ。
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このことからわかるように、異言には「口から噴き出す異言」と「意志でもって語る異言」とが認識されている。
そして「信じたらみな聖霊のバプテスマを受ける」との解読では、この二つの状況はあえて区別するほどのことではない、という認識になる。
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かというと、前者の「噴き出す異言」が出たことを「聖霊のバプテスマを受けたしるし」とする解読も成り立ちうる。
(以後の異言も否定しないが、それは「意志の力で語る」のだ、と考える)
いずれにせよ、「異言(strange tongue) ]とはそういうもので、これは「噴き出そうが、意志で語ろうが」とにかく存在する、というのが聖書の論理である。
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ちなみに、YouTubeに登場する、カナダ在住の日本人伝道者、ドクターあいこさん~多くの人を癒やしている~は、この異言を「天のことば」といっている。
すると、われわれが日常話すことばは「地のことば」となる。
たしかに「天国で語られている言葉ならば、人間日常の理知ではわからない、のが道理となる。
<ニッポンキリスト教の見解>
そうかというと~、
上記『使徒行伝』に記録されているような事態は、聖書という書物ができていなかったときのものだ。
いまは聖書があるからそういう事態は必要ないから、「聖霊のバプテスマ」などはないし、なくていいのだ。
~そういう見解もある。
ニッポンキリスト教の神学校の教授先生や牧師さんたちはほとんどがこれだ。
いずれにせよ、「⑤新しいことばを語り」は、そういう「ストレンジタング」を語り、という意味である。
私、今から三十年前、洋光台駅近くの喫茶「Ruth(ルツ)」でお会いしました土屋です。
明治学院大学戸塚校舎に一度車でお送りしたこともあったと思います。
Twitter上でふと鹿嶋春平太が肥田先生と知り矢も盾もたまらずコメントさせていただきました。
益々のご活躍を祈念致します。
もし、フェースブックをおやりなら、そちらの方が手軽かも知れませんね。肥田日出生で出ています。
「ルツ」とすがえさんのその後も含めて。