創造神を認識する方法について、少し詳細に考えておきましょう。
筆者は~
「端的に言えば、宿物神は「感慨の神」であり、創造神は「理念の神」
~と前述しました。
ですけど詳しく言うと、この「理念の神]は、創造神を認識する初めの時点の状況についてのべたことです。
<納得できる認識とは>
創造神の理解は、理(筋道)による理性を用いての認識に始まります。
だが、人にはもう一つ、感性という認識能力も与えられています。
創造神認識も、進むにつれて感性認識が加わらねばなりません。
感性にドシーンと手応えのある認識ですね。
理性と感性の両方を用いた認識でもって、人は納得のできる認識に達するのです。
詰まるところのゴールは、それですね。
ちなみに、霊感は感性能力の一つです。
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例を挙げて考えましょう。
創造神を理(筋道)によって認識する方法は、例えば「時間空間的無限者」、「唯一者」といった把握に現れています。
言葉による認識ですね。
では、感性認識はどうか。
例えば、戸外に出て上方を見上げてください。
この空も、その下にある全てのものをも、創り出した神を思って、見上げてください。
そのとき、漠然ながら感じられるお方(存在)が、感性(霊感)で認識した創造神です。
<感性認識の弱点>
だが、感性認識には、正確さにおいて弱点があります。
創造神を思って見上げていても、その神様は、空の「中におられる」方とも感じられてくるでしょう。
そのとき、我々は、いつのまにか在物神(空という物質の中に存在する神)である神を感じています。
このように、感性による認識は、創造神的になったり、宿(在)物神的になったり、と揺らぎます。
<言葉の枠に収める>
そういう弱点を持った感性認識を、揺れないように「型枠にはめこむ」のが理性(筋道の能力)です。
「自分以外の万物を創造した方」「空間的に無限に大きい方」などの枠を与えます。
筋道は言葉で与えられます。
言葉は筋道(理)を含んだイメージ形成手段です。
<福音は「聞くこと」から始まる>
最終的に目指すべき創造神認識は、理性認識と感性認識が協働した認識です。
そして、その協働のプロセス(順番)を言うと、最初は言葉による理性認識です。
聖書で、「福音は聞くことから始まる」というのは、それをいっています。
創造神という実在の認識は、まず、言葉による理性認識から始まるのだよ、というのです。
そして、その言葉を沢山受信していると、感性認識も湧き上がってきて実在感が増す。
具体的には、霊感が動き出します。
霊感は感性のなかの一つの能力です。
そこに偉跡(聖書用語では「しるしと不思議」)が起きて実在感は飛躍する。
~これが聖書の示唆する創造神認識の手順です。
<聖書の冒頭から>
創造神を知る最初の手がかりである言葉は、聖書の冒頭から記されています。
聖書は旧約聖書から始まるのですが、その冒頭の書物は『創世記』です。
それは「初めに創造神が天と地を創造した」という聖句から始まっています。
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