Sightsong

自縄自縛日記

廣瀬純『闘争の最小回路』を読む

2008-02-10 23:59:39 | 中南米

岩国市長選は残念な結果に終った。カネと無知と煽動とパワーハラスメント、これでいいのか。

廣瀬純『闘争の最小回路 南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン』(人文書院、2006年)を読了した。ベネズエラのチャベス大統領を特段にとりあげる書物(それはそれで価値がある)や、キューバ革命の理想を追いかけた書物(これも価値はある)とは違い、太田昌国『暴力批判論』伊藤千尋『反米大陸』と同様に、南米の地殻変動が持つ意味について捉えようとしている稀少なものである。

ここでいう「最小回路」とは、市民であり生活者である私たちが「個」として持つべき動きを意味している。私たちの代表者であったはずの政治家が、私たちの現状や希望とは乖離したところで繰り広げる政治劇場、これを私たちひとりひとりが取り戻し、アクターであるべきだというわけだ。その際には、「然るべき場で、政治発言を行う積極的なひと」を想像するべきではないだろう。むしろ、テレビなどの装置を通じて受動的に判断停止に陥るのではなく、「選択すること自体を選択するということ」(ジジェク)が求められているに過ぎない。えせマッチョ、目立つアクター、より大きな存在のカリカチュア化したミニチュアといった側面で見れば、都府、沖縄、岩国、横須賀などで起きていることは前者に起因する現象であり、どうも絶望的な社会のように思えてならない。

本書に収められているマイケル・ハートアントニオ・ネグリの言説は興味深い。ハートは、自律的なムーブメントや、小さい単位間のネットワークは、従来型の政治社会をも動かす大きな力となるものだと説く。その意味では、チャベスやモラレスの反「帝国」・反「米国」政権も、従来型のパワーのひとつに過ぎないわけだ。一方、著者の廣瀬氏によれば、ネグリが私たち「マルチチュード」が「帝国」に抗することを想定するとき、自律性よりも、対抗力のある組織を考えてしまうため、「闘争の最小回路」は弛緩してしまうのだと評価している。

だから、希望は、「個人」の自律性と、お互いの緩やかな共振にあると考えてよいのだろう。もちろん、この延長線上には、間接民主制というものへの疑問を持ち続けるべきだろう。 3月にネグリが来日する。どのようなアピールがなされるのか楽しみではある。

●参考

中南米の地殻変動をまとめた『反米大陸』
太田昌国『暴力批判論』を読む
モラレスによる『先住民たちの革命』
チェ・ゲバラの命日
『インパクション』、『週刊金曜日』、チャベス