先日、仙台駅前でホームレスの方から購入した『THE BIG ISSUE』(88号)の特集が、「知らなかったアフリカ、新しいアフリカ」だった。そのなかで、松田素二氏によって語られるアフリカの捉え方が興味深い。突然まったく別の民族になることができるエスニック・チェンジ(民族変更)、被害者と加害者とが公の場で対面して告白しあうことで和解する方法(マンデラが用いた手法)、居候文化、都市と農耕との一体化など、他の文化にとどまらない種がありそうに感じた。
「グローバル化の中心から見れば、彼らは端っこの端っこに位置する米粒以下の存在かもしれません。しかし、彼らはそうした巨大な力に唯々諾々と従っているのではなく、むしろそうした力を飼い慣らして、自分たちの生きやすいように仕組みを組み替えていく。」
「つまり、アフリカを考えるということは、単に遅れた社会だから援助したり、彼らが知らないことを教えてあげるというものではなく、普段、私たちが当然のものとして受け入れている市民社会や自由平等の人間観、民主主義、人権観などを疑ってみるということなんです。」
(松田素二氏のコメント)
『THE BIG ISSUE』(88号)より
この対極にあるスタンスがオリエンタリズムであることは言うまでもないことだろう。かつて(これまで)西洋が日本を含む第三世界をどのようなまなざしで視ていたのか、という視点で組み立てられた展覧会が以前あった。『異文化へのまなざし』(世田谷美術館、1998年)である。必ずしも単純に略奪の歴史とだけみるわけにはいかないのが興味深いところだが、ここには、典型というべき大英博物館所蔵のものが並べられていた。
「アフリカ人の「裸体性」は、子どものような無垢と意図的な放縦さのいずれにも解釈可能である。19世紀をつうじて、アフリカはヨーロッパの植民地主義による救済をまつ荒野であるという見方がますます優勢になっていったのは、統計的にも疑いないが、もうひとつの選択肢(※理想郷)もつねに開かれていたのである。」(ナイジェル・バーリー「オロクンのひとつの顔―――西洋人のアフリカ観」、『異文化へのまなざし』図録所収)
ベニン王国の装飾品(16世紀、19世紀)」(『異文化へのまなざし』図録)
大英博物館におさめられている記録やオーナメントの類が、本来その地にあって自発的なものかどうかはわからないが、オリエンタリズム的視線により発生した(「発見」も、経済的な「創生」も含む)ものも多くあるのだろうと思える。
それに対して、『ヴォーグ』などで活躍した写真家アーヴィング・ペンが、ダオメ共和国(現在はベニンの南部)を訪れ、女性たちや神像を撮った写真集『DAHOMEY』(Hatje Cantz Verlag、2004年)には、そのような枠から相当逸脱しているイメージが記録されている。ローライを使い、場合によっては簡易スタジオを作ってまで撮った写真群のクオリティは完璧である。(だから、これもオリエンタリズム的だ、と言うことは、勿論できる。)
写真の大半を占めるレグバ神は、マウ神の7番目の末子であり、トリックスターであり、神の言葉を伝える者だとされる。またペン自らの説明によると、粘土でつくり、鶏や鷺の羽でヒゲをつけ、コヤス貝や黒い石を眼に見立て、さらに動物の角や犬の歯までくっつけている。そして毎日、生贄の山羊や鶏の血を、椰子油とまぜて塗りたくり、卵の黄身をまわりに配している。
1967年の記録だが、「再発見」され、2004年に駒場の日本民藝館に巡回してきたときに観た(ほかにはパリとヒューストン)。写真集はそれにあわせて発刊されたものだ。40年前ながら、そのものの力、それからアーヴィング・ペンの技術、ローライのレンズ(型式が不明なのでプラナーかテッサーかビオメターかなど不明)、フィルムの力などにより、今でも衝撃がある。