音楽評論家・横井一江さんのブログ『音楽のながいしっぽ』で、サックス奏者ジョン・ブッチャーのことがとりあげられていた(→リンク)。フリー・インプロヴィゼーション情報を発信し続けているtsugeさんの『ひねくれ人生日記2008』(→リンク)でも引用している。辿っていくと、『WIRE』のサイトで、演奏を3曲聴くことができた(→リンク)。
とても気に入ったので、ディスクユニオンで、その試聴曲もおさめられているサックス・ソロ集『THE GEOMETRY OF SENTIMENT』(EMANEM、2007年)を買ってきた。リビングで聴きはじめると、寝ていた幼児が吃驚して泣き始めたので、寒い部屋の大きなスピーカーであらためて体感をきめこむ。
最初の2曲は「持続」と名づけられていて、宇都宮の大谷石地下採石場跡で演奏されたものである。撥音、擦音、倍音などのバリエーションが驚くべきものだ。そして共鳴。採石場の大きな閉空間により、音はある塊になり、時間差をもって演奏に参加する。共鳴は、サックスの菅の中、それからサックスの多くの穴から吹き出たりタンポで急に止められたり、といったレベルでも感じられる。渋谷などの地下駐車場でサックスを吹くという試みをしていたサックス奏者もいたが、水準がまったくちがう。
デレク・ベイリーに捧げられた「But More So」では、実際にベイリーの手癖を思い出させるフレーズが断続的に出てくる。あらためて、ベイリーはフレーズを作っていたのだなと認識させられる。(それでもクリシェにならなかったところが、ベイリーの凄さだったとおもう。)
人工的に増幅しフィードバックしている曲もあるが、他の肉体による演奏のなかにあって違和感がないどころか、朦朧とした頭を揺り起こしてくれる。そして最後の曲「Traegerfrequenz」(搬送周波数)は、ドイツ・オーバーハウゼンの旧ガスタンク、ガゾメーター内で演奏されている。(たしかベッヒャーが撮った写真にあったと思い探したが、ベルリンのガスタンクの写真だけ見つかった。)
ここでも、立ち位置とその時間的プロセスが大事にされているわけだ。なんといっても、タイトルは『感情の幾何学』なのだ。(ところで、このタイトルは、ひと世代前のエヴァン・パーカーによる『肺の地誌学』(Topography of the Lungs)を意識してはいないだろうか。)
いままで名前だけ引っかかっていて演奏を聴いたことのない音楽家だった。
この演奏からの連想。大谷石地下採石場跡で、トゥヴァ共和国出身のヴォイス・パフォーマーであるサインホ・ナムチラックが歌う映像を観たことがある。六本木の「将軍」というあやしいクラブで、音楽評論家・副島輝人さんがサインホのライヴを企画し、あわせて上映したのだった(→リンク)。常人の域をはるかに超えた声を提示し続けるサインホと、このジョン・ブッチャーとは共通するところがある。この映像、もう一度観たい。
もうひとつ連想。重さや音のバリエーションや深刻さにおいてまったく異なるが、サックス奏者ロル・コクスヒルの2枚組LP『Frog Dance』も思い出した。共通するのはアンビエント性だけだろうという気もするが、あらためて聴くことにする。もう部屋が寒くて聴いていられないのだった。