ちょっと観たくなって、沢渡朔+真行寺君枝『シビラの四季』(1992年、河出書房新社)を本棚から取り出したら、やっぱり良い写真集だった。
真行寺君枝が半分移り住んだ「シビラ」での生活の様子を、沢渡朔が撮影した作品だ。たしか、ライカにカビたエルマー50mm(だったか?)の1本で撮ったものだったと記憶している。そのために、全て光が滲み、夢のような世界を造りあげている。改めて感じるのは、沢渡朔は凄い写真家だということだ。ここではライカだが、三國連太郎を撮った『Cigar』(→リンク)や伊佐山ひろ子を撮った『昭和』ではペンタックスLXに限られた単焦点レンズだけを使うというストイックさ。カビたレンズだけを使うなどというのもアヴァンギャルドである。カラーでいえば、恥ずかしいので買わないが(実は欲しい)、手塚理美を撮った『少女だった』も、昔「アサヒカメラ」か何かで観たときは鮮やかで良い写真群だとおもった。
「シビラ」ってどこだろうと思っていたが、調べてみると、長野県の「芝平」という山間地らしい。何でも数十年前に集団移住により廃村になったが、都市から新たな住民が移り住んでいるところのようだ。夏にでも訪れてみたいと強く思う。
写真集の表紙は、あけびが口を開けたところだ。真行寺君枝、子ども、猫、山、空、植物、蜻蛉など、ひとつひとつの持つムードが良い。モノクロプリントの技量も素晴らしい。中には真行寺君枝自身の文章が挿入されている。
「シビラでの日々、私たちは光と共にあります。日の出とともに目醒め、夜が訪れれば月の光、星の光が闇の夜に輝きます。
光と陰が織りなす景色は、私に幻想をもたらしてくれます。
と同時に、それは幻ではなく現実であること。
自然が描く光の陰は、私をシビラへ呼び寄せて離さないのです。」
それで、いま真行寺君枝は何をしているのかと思い調べてみると、本人のとてつもないサイト「第一哲学 不死なるもの」(→リンク)があった。この写真集よりあと、破産、家族離散、哲学への接近、といったことがあったようだ。ちょっと驚いた。