豊里友行『沖縄1999-2010 ―戦世・普天間・辺野古― 改訂増版』(沖縄書房、2010年)をじっくり観る。同名の写真集を半年程度でリニューアルしたものである。A4横になり、改訂前より面積比が3倍程度になっている。表紙の写真は若干右にずらしたようだが、意図的かどうかわからない。
この写真サイズの大型化が、写真集として大きな違いをもたらしている。基本的に印刷のクオリティは同じだが、大きい分、以前は白飛びしていたような箇所でもトーンが出ている。また、視野の占領野が広いこともあり、作品に集中できる。
こうして比較してみると、改訂前のものは<カタログ>的であった。沖縄における社会問題・社会運動のカタログというわけだ。それを否定するわけではないし、糸満、辺野古、渡嘉敷島、普天間、米兵のたまり場など、この写真家が地道に被写体たちと一体化していることは、写真作品として素晴らしいと思う。その一方、過度な認知的情報、そして北井一夫氏のいうような政治への過度の依存といった側面が目立っていたのだろう。もちろん、改訂増版になってもその側面は変わらない。しかし、<ビジュアル>が<カタログ>を押し戻すことにより、より良い作品になっているのではないか。キャンプ・シュワブの鉄条網(フェンス化されてしまった!)の写真を観るとその想いを強くする。
アートと社会との併存と依存については、昔からの論点でもある。しかし、アートを手段として社会を語るのは邪道だというような単純な見解には賛成できない。人間は<ことば>であり、アートでさえ<ことば>を超える意図があっても<ことば>であるからだ。
今回、写真の数も増えている。特に航空自衛隊那覇基地で愉しそうに戦車で遊ぶ子どもたちをとらえた「エアーフェスティバル」や、普天間基地で大きな星条旗をバックにガスマスク姿でポーズをとる米兵をとらえた「毒ガス武装した米兵」、バタくさい飲み屋の前で自転車で遊ぶ子どもたちをとらえた「金武町の飲み屋街」、曇天の月夜のエイサー景「旧盆のエイサー」など、なぜこれまで収めなかったのだろうという作品である。
これで1,050円と相変わらず廉価である。商売にならないでしょう、豊里さん。
ところで、巻末に収録されている大城立裕の小文は支離滅裂である。多良間島の組踊に下痢で参加できなかった若者のエピソードは、『沖縄 「風土とこころ」への旅』(1973年)(>> リンク)でも紹介されているが、ここでは何が言いたいのか、意味不明だ。何だろう、これは。
●参照
○豊里友行『沖縄1999-2010』、比嘉康雄、東松照明
○豊里友行『彫刻家 金城実の世界』、『ちゃーすが!? 沖縄』
○比嘉豊光『光るナナムイの神々』『骨の戦世』
○仲里効『フォトネシア』
○『LP』の「写真家 平敷兼七 追悼」特集
○「岡本太郎・東松照明 まなざしの向こう側」(沖縄県立博物館・美術館)
○平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志
○沖縄・プリズム1872-2008
○東松照明『長崎曼荼羅』
○東松照明『南島ハテルマ』
○石川真生『Laugh it off !』、山本英夫『沖縄・辺野古”この海と生きる”』