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自縄自縛日記

原科幸彦『環境アセスメントとは何か』

2011-04-15 00:50:46 | 環境・自然

原科幸彦『環境アセスメントとは何か―対応から戦略へ』(岩波新書、2011年)を読む。環境アセスに関して日本を後進国だと位置づける著者の主張が明快に伝わる本である。

本書によれば、日本の環境影響評価法(アセス法)は1997年に制定、1999年に施行されたが、これはOECD加盟国の中で最後だった。しかも、大規模事業に限定しているため、実施件数は極めて少ない(もっとも、比較対象として挙げられている中国でのアセスはいわゆる「対策」として行われているものであって、額面通りには受け取れない)。このような情けない状況になってしまったことの一因として、産業界、特に電力業界の抵抗が挙げられている。要は発電所をアセスの対象から外せということであり、国策に沿った原子力立地もこれと無関係ではないだろう。

日本におけるアセスの欠陥のひとつはここにあり、小規模事業であっても簡易なアセスを行うべきだという。

それは置いておいても、大規模事業について言えば、例えば辺野古のアセスがなぜあれほどまでに出鱈目で(しかも9億円をかけているようだ)、アセス法の理念を政府自ら破壊しているか、その解は一部については示されている。

○アセスの方法を示す「方法書」の前にアセス自体を実施することを禁止すべき。
○事業計画を固める前の意思決定段階で「スコーピング」のプロセスを始めなければならない。日本の場合は官僚が事業計画を決めてからアセスに移るため、必要性の検討ができず、後戻りできない。
○公衆の意見に対して「意味ある応答」をしなければならない。
情報公開法(2001年施行)においては、国の所有する行政情報は公開されることになっている。しかし非公開としうるものとして、意思決定過程を例外としている。むしろここを透明化し、計画案検討段階から積極的な住民参加機会を作るべきである。
○大学の専門家が「アワセメント」に加担しないよう、とりわけ国民の税金で支えられている国立大学法人には、倫理観の教育を行う必要がある。

こう挙げてみると、すべて辺野古に当てはまることがわかる。これらが政府をも縛る規制となれば、事業は多少なりとも真っ当な方向に向かうようになるのかもしれない。しかし、事業の意思決定過程を透明化するとしても(難しいだろうが)、特に密室性の高い軍事政策に関連するような場合に、本当に、出鱈目な似非アセスをアリバイのように作っていく政府を規制できるのだろうか。


辺野古の環境アセスのフロー

●参照
名古屋COP10&アブダビ・ジュゴン国際会議報告会
ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見(4)