Sightsong

自縄自縛日記

山下清展

2011-04-27 08:33:04 | アート・映画

福岡に足を運んだついでに、福岡アジア美術館で開催されている「山下清展」を観た。まともに山下清の絵に向かい合ったのははじめてかもしれない。

貼絵の繊細で精緻なことに瞠目する。光沢のあるものとないもの、貼る前に縒ってちぎったコヨリ、石垣のように隣り合う紙に寄り添ったサイズ。そんな数々の小さな命が世界を創りあげている。木々、草、人、それから背景が溶けあうような色彩も素晴らしい。

点描のようなペン画も良い。フェルトペンで素朴にしかし丹念に描かれている。特に「ストックホルムの夜景」と題された、山下清がヨーロッパ放浪中に描いた絵では、点々による夜の闇が、建物や彫像と一体化しており、吃驚してしまう。

正直に言って、これまで山下清の美術世界をろくに知らなかったことを恥じてしまった。それほどに嬉しかった。

会場には、山下清が使ったリュックや認識票やゆかたなどが展示されている。その中に、8ミリカメラがあった。ベルハウエル(Bell & Howell)のダブル8だろうか。帰ってから、ユルゲン・ロッサウ『Movie Cameras』(atoll medien)という大判のやたら重たい本で確認してみると、どうやら「7125 Duozoom」のようだ。レンズは9-27mm/F1.8、メッキのテカリがいかにもかつてのアメリカだ。本人の撮った映像は残っているのだろうか。


ジャズが聴こえないジャズ・ミステリ、ポーラ・ゴズリング『負け犬のブルース』

2011-04-27 01:13:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

福岡行きの機内で、ポーラ・ゴズリング『負け犬のブルース』(ハヤカワ文庫、原著1980年)を読む。場所はロンドン、クラシック・ピアニストでありながらジャズに手を染め、さらには食っていくために何でも依頼仕事を行う男が主人公である。40歳を過ぎたばかり、バツイチのインテリ、才能はピカイチ、女性にはモテる。そんな奴いるのか、まあ、お話だからどうでも良いんだけど・・・。

どうしてもジャズ・ファンをくすぐる描写に期待してしまうが、実のところ、そのような場面はさほど多くない。デイヴ・ブルーベック、ズート・シムズ、オスカー・ピーターソン、テディ・ウィルソン、ハービー・ハンコック、MJQといった音楽家の名前は出るし、「柳、柳、わたしのために泣いておくれ」といったようにスタンダードの曲名をちりばめたり、ジャズのコード進行とインプロヴィゼーションをスキーのスラロームに例えた講釈をしてみたりと工夫はしている。しかし、ジャズの緊張感を感じさせる演奏場面の描写はまったくたいしたことがない。この作家はジャズに思い入れがさほどないのではないだろうか。

ミステリとしてのプロットや謎解きの面白さも少ない。ようやく最後になって、映画的とでも言うべきカーチェイスのシーンがあって救われた気分になった。

カーオーディオから流れてくる音楽は、バッハの「ブランデンブルグ協奏曲」。映画そのものであっても、このギャップを活かしたら愉快かもしれない。菊地雅章クインテットの音楽がずっと流れるカーチェイス映画、西村潔『ヘアピン・サーカス』(1972年)と比べたら、映画ならばきっと両者互角、小説ならばバッハだろうと思ってしまった。小説で、次々に繰り出されていくジャズのインプロヴィゼーションを表現できれば話が違うかもしれないが。

●ジャズ・ミステリ
フランソワ・ジョリ『鮮血の音符』
ビル・ムーディ『脅迫者のブルース』
シャーロット・カーターがストリートのサックス吹きを描いたジャズ・ミステリ『赤い鶏』、『パリに眠れ』

●カーチェイス
菊地雅章クインテット『ヘアピン・サーカス』