栗原康『干潟は生きている』(岩波新書、1980年)を読む。私にとっては、かつて感銘を受けた『有限の生態学』(1975年)の著者だ。
ここで取りあげている干潟とは、仙台の蒲生干潟である。いつか機会を見つけて足を運ぼうと思っていたが、どうやら今度の震災で壊滅したらしい。
>> 河北新報「野鳥の楽園、見る影なく 一帯に砂、復元不能か 蒲生干潟」(2011/4/1)
本書によると、蒲生干潟には日本全国で確認されているシギ、チドリの4分の3程度が毎年やってきて、面積あたりの種類数に関しては群を抜いていた。その要因としては、彼らの餌であるゴカイなどの底生動物が富み、後背地に田んぼや草地などが広がり、その前縁には砂浜、後縁にはアシ原が形成されているなど複雑な環境が挙げられた。
そして、それら要因間の相関関係を実験結果をもとに考察をすすめている。その結果、潟湖を形成する蒲生干潟の中でも、塩分濃度などのなだらかな変化が見られ、そのトーンこそが微妙な生態系のバランスを成立させているというのだった。ここで重要な点は、人間活動の介入を想定に入れているということ(そもそも蒲生干潟が七北田川の河道変更により形成されている)、そして他の世界に開かれた系として評価していることだ。人工干潟の構想を形作りながらも、「微妙なバランスの上に成り立っている生態系を積極的に改善しようとする”外科手術”がいかに困難であるか」とする指摘は、ずっと三番瀬においてなされてきた人工干潟導入の議論にも当てはまることだろう。
干潟は本書のタイトルにあるように生き物であり、消滅を含め、姿を変えていくことは宿命と言うことができよう。とは言え、急激な壊滅は残念極まりない。今後、干潟という微妙なバランス上に成り立つエコトーンが、どのような姿でどこに姿をあらわすのだろうか、それともそれはないのだろうか。本書では、次のように示唆している。
「生物の環境にとってさらに大切なことは、時たま大きな攪乱を受けることである。環境が長期間定常状態を維持すると、生物による条件付けのためにしばしば不適な環境に変ってくる。この場合、たまに起る攪乱は環境を蘇生させるのに非常に重要な働きをしている。干潟が時に異常高潮や洪水によって洗われることは、生物の条件付けによる環境劣化を防ぐのに必要な洗礼といえるであろう。」
それにしても、沖縄・泡瀬干潟の埋め立て予算が成立したとの報道にはがっかりさせられた。地震と津波による大きな変化ならば自然のサイクルだと考えもできるが、利権確保のための無意味な埋め立ては到底納得できるものではない。
>> 沖縄タイムス「県議会、当初予算が成立」(2011/3/30)
●東京湾の干潟(三番瀬、盤洲干潟・小櫃川河口、新浜湖干潟、江戸川放水路)
○『みんなの力で守ろう三番瀬!集い』 船橋側のラムサール条約部分登録の意味とは
○船橋の居酒屋「三番瀬」
○市川塩浜の三番瀬と『潮だまりの生物』
○日韓NGO湿地フォーラム
○三番瀬を巡る混沌と不安 『地域環境の再生と円卓会議』
○三番瀬の海苔
○三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
○三番瀬(5) 『海辺再生』
○猫実川河口
○三番瀬(4) 子どもと塩づくり
○三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
○三番瀬(2) 観察会
○三番瀬(1) 観察会
○『青べか物語』は面白い
○Elmar 90mmF4.0で撮る妙典公園
○江戸川放水路の泥干潟
○井出孫六・小中陽太郎・高史明・田原総一郎『変貌する風土』 かつての木更津を描いた貴重なルポ
○盤洲干潟 (千葉県木更津市)
○盤洲干潟の写真集 平野耕作『キサラヅ―共生限界:1998-2002』
○新浜湖干潟(行徳・野鳥保護区)
○谷津干潟
●沖縄の干潟・湿地・岩礁
○泡瀬干潟
○泡瀬干潟の埋立に関する報道
○泡瀬干潟の埋め立てを止めさせるための署名
○泡瀬干潟における犯罪的な蛮行は続く 小屋敷琢己『<干潟の思想>という可能性』を読む
○またここでも公然の暴力が・・・泡瀬干潟が土で埋められる
○救え沖縄・泡瀬干潟とサンゴ礁の海 小橋川共男写真展
○屋嘉田潟原
○漫湖干潟
○辺野古
○糸満のイノー、大度海岸
○沖縄県東村・慶佐次のヒルギ
●その他
○粟屋かよ子『破局 人類は生き残れるか』(栗原康『有限の生態学』を多く引用)
○加藤真『日本の渚』(良書!)
○『海辺の環境学』 海辺の人為(人の手を加えることについて)
○下村兼史『或日の干潟』(有明海や三番瀬の映像)
○『有明海の干潟漁』(有明海の驚異的な漁法)