江東区枝川の東京朝鮮第2初級学校で、シンポジウム「高校無償化からの排除、助成金停止 教育における民族差別を許さない」があると知り、足を運んだ。この学校は、もともと皇民化教育を行っていた隣保館という建物を利用するところからはじまっており、見学したくもあったのだ。
早めに枝川の町を見ておこうと、東西線の木場駅から炎天下を延々と歩いて着いたころ、新聞記者のDさんから携帯に電話があった。「某氏のインタビューが流れて時間ができたので、いま枝川にいる」と。別にシンポジウムのために来ていたわけでもなかった。あり得ない偶然(笑)、合流する。
戦前の地図を片手に歩く。かつて東京市が在日コリアンを強制的に押し込めた朝鮮人集合住宅は、いまではその影もなく、住宅がぎっしりと集中している。もちろん在日コリアンの方々が多く住んでいることはすぐにわかる。また、ごみ処理場だったはずの場所は、運送会社の倉庫などになっていて、裏の川沿いにまわってみてもそれとはわからない。川といってもすべて運河であり、流れのせいか、水は澄んではいなかった。
朝鮮人集合住宅があったあたりの界隈
ごみ処理場があったあたりは運送会社の倉庫になっている
学校はこの4月に建て替えられたばかりで、とてもモダンな雰囲気だ。横には人工芝のグラウンドがある。シンポジウムの少し前に入り、見学させてもらった。内装は木が多く使われており、まだ建具の匂いがする。以前の建物も見てみたかったところだ。
シンポジウムは講堂で行われた。弁護士二人による講演の要旨は以下の通り。
■ 金舜植さん「<高校無償化・教育補助金>停止の問題点」
○東京都が学校と土地の明け渡しを求めた枝川裁判(2003年~2007年和解成立)では、外国人学校(各種学校の扱い)を、①ナショナルスクール、②インターナショナルスクール、③その他、と分類した。今回の高校無償制度(2010年)においても、この枠組みが用いられた。なおブラジル学校は各種学校として認められていない。
○これらの外国人学校を認める基準としては、①ナショナルスクール:本国の教育水準と同等、②インターナショナルスクール:国際評価機関が水準を担保、③卒業生を受け入れる各大学が判断、となっている。この③は実質的には放置である。
○②と③についても明確ではない。台湾系中華学校については、国交がないが「確認できる」ものとして②扱い。しかし朝鮮学校については、朝鮮総聯を通じて確認できる、とはされない。
○スポーツでいえば一軍、二軍、三軍のようなものであり、むしろ同等なセ・リーグ、パ・リーグのような形であるべきだ。
○高校無償化にあたっては③を放置したままでは制度化できないため、2010年、文科省の検討会議において基準が定められた。それによれば、授業の科目・時間、教員資格、施設など、客観的に判断されるべきものであり、外交上の配慮などにより判断されるべきものではないと明らかにされた。つまり、好き嫌いで決めるようなものではない。
○この方針ならば朝鮮学校も無償化されるはずであったが、申請期限直前の2010年11月23日に北朝鮮砲撃事件が起きた。それを受けて、政府と文科省は審査を停止した。本来外交上の配慮は判断基準に入らないはずであり、法的根拠がないものだった。東京朝鮮学園は、2011年1月、行政不服審査法に基づく異議申し立てを行った。なお、文科大臣は議会において法的根拠がないものと答えている。
○日本の新聞は、「産経新聞」以外、この措置をおかしいものと論じた。
○手続きを停止するということは、手続きを進めたら無償化対象から外せないということを意味する。
○東京都は2010年12月、突然、補助金交付の対象から朝鮮学校を「別途知事が定めるまで」除くとする要綱を発表した。石原知事の言う根拠は、①高校無償化の判断を国が保留している、②もともと補助金は都議会からの要請で出していたものであり、議員の考えを判断するため、あらためて議会に諮りたい、とするものだった。
○このような地方自治体における補助金停止が、大阪、埼玉、千葉、宮城でもなされた。さらに他の都道府県、区、市に波及することを懸念する。
○まずは高校無償化に関してこの8月に提訴する準備を進めている。和解まで3年半を要した枝川裁判よりも短いものであるべきで(生徒がいるから)、争点をしぼりたい。
■ 師岡康子さん「国際人権法とマイノリティの教育権」
○国際人権基準のさきがけであった人種差別撤廃条約(1965年)は、60年代のネオナチ跋扈に対する批判として、アフリカ諸国が中心となって推進し、成立させたもの。
○マイノリティとは数の問題だけではなく(そのため「少数者」とは言わない)、被支配的な存在であることも意味する。在日コリアンは民族的マイノリティである。
○民族的マイノリティの教育への権利としては、教育を受ける権利だけでなく、保護者が教育機関を選べる権利も含まれている。その選択肢の中には、自民族の言葉によって学ぶことも入っている。
○自由権規約(1966年)は初めてマイノリティについて定めた国際人権基準であり、「自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない」としている。「否定されない」とはいかにも弱い表現だが、時間を経て、内容の豊富化・具体化が進み、マイノリティの権利宣言(1992年)では、より積極的な規定に転じている。
○マイノリティ・フォーラム「マイノリティと教育への権利」勧告(2009年)では、以下のようにはっきりと謳っている。
「親または法的な保護者が子どもたちのために、当該国政府によって設立された教育制度とは別の学校を選択する自由、及び、彼らが子どもたちのコミュニティ内において信念に基づき宗教的道徳的な教育を保障する自由は認められなければならない。・・・ 非公立学校に対する公的財政支援はこうしたすべての学校に平等に提供されなければならない。」
○日本政府はマイノリティとしてアイヌしか認めておらず、それも最近までは、すでに同化したために存在しないと開き直っていた。在日コリアンを認めてこなかったのは、過去の植民地支配を直視してこなかったことに起因する。
○日本に対する人権差別撤廃委員会勧告(2010年)には、「・・・高校無償化の法改正の提案がなされているところ、そこから朝鮮学校を排除するべきことを提案している何人かの政治家の態度」と書かれている。この「政治家」とは、中井国家公安委員長のことだった。
○このように、日本の政策は明らかに国際人権法に底触する差別政策である。差別的な扱いを外すなら、高校無償制度は日本において画期的なものと評価できる。
○準備中の裁判は、文科省の定めた基準にさえあてはめればよいはずで、それに限定する方針。
シンポジウムの後、近場の「みゆきや」など評判の焼肉屋に行こうと考えていたが、校庭での焼肉パーティが催されるとのこと、そちらに参入した。もう夕方、過ごしやすい気温になっていて、野外で炭で焼く肉とビールは旨かった。なぜだか全員が自己紹介させられ、親密な雰囲気だった。