Sightsong

自縄自縛日記

森口豁『アメリカ世の記憶』

2011-07-27 23:17:25 | 沖縄

ジャーナリスト・森口豁さんは、高校生のときの1956年、沖縄に渡っている。高校同窓の金城哲夫(『ウルトラマン』)の導きによるものだったという。そして改めて1959年、大学を中退し、沖縄でのジャーナリスト活動を開始している。まさにその年、石川市(現・うるま市)の宮森小学校に米軍機が墜落し、多くの犠牲者を生む事件が起きている。

『アメリカ世(ゆー)の記憶』(高文研、2010年)は、そのときから日本への施政権返還までの沖縄の姿、いわゆる「アメリカ世」を捉えた写真文集である。

そのようなわけで、仰天し、凝視してしまう写真が数多く収められている。「大文字」の歴史的瞬間だけではない。ひとりひとりの佇まい、表情、視線、空気に時空間が反映されているように見えてならないのである。メーデーの場所で、バス停車場で、キャンプ・シュワブ建設予定地で、呆然と座り、頬杖をつく人たちの姿すべてが歴史である。

勿論、国家権力に対する怒りはモノクロ写真においても噴出していることがわかる。米軍の基地拡張により故郷を追われた人々。ハンセン病で差別・隔離されひとり暮らす老女。宮森小学校の窓に吊るされた千羽鶴。沖縄戦の遺骨を探す人々。森口さんがヤマトンチュだとわかるや恐怖のあまり姿を隠してしまった老女。

自身のテレビドキュメンタリーについて、いくつか言及されている。久高島を撮った『乾いた沖縄』(1963年)、平敷兼七ら沖縄の写真家たちが昭和天皇の死をどのように表現したかを追った『昭和が終わった日』(1989年)は、ぜひ観たい作品だ。琉球センター・どぅたっちさん、上映しませんか?

◇琉球センター・どぅたっちでは、7/28(木)、森口豁さんのドキュメンタリー『毒ガスは去ったが』(1978年)と『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1979年)の上映を行う。前者は沖縄の米軍基地に貯蔵されていた毒ガス兵器を追ったもの。後者では若い日の金城実さん(彫刻家)が登場するという。>> リンク

●参照 森口豁
森口豁『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』
森口カフェ 沖縄の十八歳
罪は誰が負うのか― 森口豁『最後の学徒兵』
『子乞い』 鳩間島の凄絶な記録


黒木和雄『日本の悪霊』

2011-07-27 00:06:09 | アート・映画

黒木和雄『日本の悪霊』(1970年)を観る。高橋和巳は当然同時代ではなく、『我が心は石にあらず』でウンザリした自分にとって、そこは興味の対象ではない。佐藤慶の一人二役が観たかったからに過ぎない。


『アートシアター ATG映画の全貌』(夏書館、1986年)より

日本共産党が中国の影響下に結成した山村工作隊は、自己批判とともに否定された。映画に登場する佐藤慶は、左翼学生の時に自らを変えることができず、地主を殺害する(リーダーは土方巽!)。それは時効となるが、そもそも、やくざと警察との癒着の材料に使われていて、「無かった」ことにされていた。やくざとなった佐藤慶と、彼に瓜二つの警部・佐藤慶。このふたりが入れ替わり、やがて、話は混沌と化す。

映画としての完成度は低く、あまり誉めるようなところがない。佐藤慶、土方巽、殿山泰司渡辺文雄といった怪人たちの登場が嬉しいくらいだ(伊佐山ひろ子の名前もあったが、どの役だろう?)。

岡林信康が何度も登場しては、ギターを掻き鳴らし歌いまくる。『原子力戦争』(1978年)における福島第一原発のゲリラ取材といい、黒木和雄は楽屋落ちによる異化が好みだったのだな。

●参照(黒木和雄)
黒木和雄『原子力戦争』
井上光晴『明日』と黒木和雄『TOMORROW 明日』
『恐怖劇場アンバランス』の「夜が明けたら」、浅川マキ(黒木和雄)

●参照(ATG)
実相寺昭雄『無常』
黒木和雄『原子力戦争』
若松孝二『天使の恍惚』
大森一樹『風の歌を聴け』
淺井愼平『キッドナップ・ブルース』
大島渚『夏の妹』
大島渚『少年』
新藤兼人『心』
グラウベル・ローシャ『アントニオ・ダス・モルテス』