ジャーナリスト・森口豁さんは、高校生のときの1956年、沖縄に渡っている。高校同窓の金城哲夫(『ウルトラマン』)の導きによるものだったという。そして改めて1959年、大学を中退し、沖縄でのジャーナリスト活動を開始している。まさにその年、石川市(現・うるま市)の宮森小学校に米軍機が墜落し、多くの犠牲者を生む事件が起きている。
『アメリカ世(ゆー)の記憶』(高文研、2010年)は、そのときから日本への施政権返還までの沖縄の姿、いわゆる「アメリカ世」を捉えた写真文集である。
そのようなわけで、仰天し、凝視してしまう写真が数多く収められている。「大文字」の歴史的瞬間だけではない。ひとりひとりの佇まい、表情、視線、空気に時空間が反映されているように見えてならないのである。メーデーの場所で、バス停車場で、キャンプ・シュワブ建設予定地で、呆然と座り、頬杖をつく人たちの姿すべてが歴史である。
勿論、国家権力に対する怒りはモノクロ写真においても噴出していることがわかる。米軍の基地拡張により故郷を追われた人々。ハンセン病で差別・隔離されひとり暮らす老女。宮森小学校の窓に吊るされた千羽鶴。沖縄戦の遺骨を探す人々。森口さんがヤマトンチュだとわかるや恐怖のあまり姿を隠してしまった老女。
自身のテレビドキュメンタリーについて、いくつか言及されている。久高島を撮った『乾いた沖縄』(1963年)、平敷兼七ら沖縄の写真家たちが昭和天皇の死をどのように表現したかを追った『昭和が終わった日』(1989年)は、ぜひ観たい作品だ。琉球センター・どぅたっちさん、上映しませんか?
◇琉球センター・どぅたっちでは、7/28(木)、森口豁さんのドキュメンタリー『毒ガスは去ったが』(1978年)と『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1979年)の上映を行う。前者は沖縄の米軍基地に貯蔵されていた毒ガス兵器を追ったもの。後者では若い日の金城実さん(彫刻家)が登場するという。>> リンク
●参照 森口豁
○森口豁『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』
○森口カフェ 沖縄の十八歳
○罪は誰が負うのか― 森口豁『最後の学徒兵』
○『子乞い』 鳩間島の凄絶な記録