Sightsong

自縄自縛日記

『けーし風』読者の集い(14) 放射能汚染時代に向き合う

2011-07-31 09:08:03 | 沖縄

『けーし風』第71号(2011.6、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した。参加者は4名と少ない。

放射能汚染時代に向き合う」と題された特集であり、一見弱いように感じる沖縄との関連性は強い。権力の住民軽視、基地と原発の立地、メディアとの距離。核や毒ガスや枯葉剤といった、沖縄米軍基地にかつて(今も?)持ち込まれている「目に見えない毒」の恐怖だって、そうである。

議論も含めて、気付いたこと。

『未決・沖縄戦』(2008年)(>> リンク)を撮った輿石正氏が、東北からの被災家族を受け入れている。このときの映像を『10年後の空へ』として完成したそうであり観たいところ。
○その被災家族も、松田潤「国民共同体からの逃走」でも、早尾貴紀「原発事故から避難するネットワークの動き」でも、「逃げる権利」に言及している。これは非常に重要な点である。一方では、「逃げる」ことへの非難・批判や、その場にとどまることに対するヒロイックな高揚した気分があちこちに見られるからだ。(『AERA』のコラムをやめた野田秀樹の主張も、もっともらしいように聞こえて、所詮はそんなものだった。)
○いわき市では全戸に東電から年間4000円が配布されていたとのこと、どのような枠組みか。
○早尾貴紀「原発事故・・・」や矢ヶ崎克馬「内部被曝の可能性と防御への道」で指摘されているように、被曝限度の基準を突然上げている政策は科学的根拠に背を向けた危険極まるものであり、住民を避難させない(福島をからっぽにさせない)ためのものでもあった。
○いまの社会におけるインターネットの重要性が指摘されている(一応はメディアが機能している日本と、それのみに頼らざるを得ない中東とは異なるとの論調があったが、実はそうではない)。OAM(沖縄オルタナティブメディア)(>> リンク)もその可能性のひとつであり、真喜志好一「オスプレイ配備計画を撃つ」でも、生の情報を発信する場としてOAMを紹介している。
竹内渉「知里真志保と創氏改名」では、アイヌに対する「創氏改名」政策が、実は朝鮮に対する適用前のトレーニングであったことを示している。なお、明治期の戸籍の「族称欄」には、「旧土人」と付け加えられていた。
佐藤学「米軍再編:アメリカでいま何が起こっているか」は相変わらず鮮やかな立証・論考である。これによると、普天間を固定し、辺野古に基地を作ろうとしているのが必ずしも米国政府ではなく、他ならぬ日本政府であることが理解できる。
○沖縄では毎年軍用地料を値上げして軍用地主との契約をさせていたが、ここにきて、地価や物価との比較上さほどいいものではなく、軍用地主会は政府との契約に前向きではなくなってきている(通常の面積なら年間200-300万円を得る)。そのため反戦地主会の人数も増えてきている。

●参照
『けーし風』読者の集い(13) 東アジアをむすぶ・つなぐ
『けーし風』読者の集い(12) 県知事選挙をふりかえる
『けーし風』2010.9 元海兵隊員の言葉から考える
『けーし風』読者の集い(11) 国連勧告をめぐって
『けーし風』読者の集い(10) 名護市民の選択、県民大会
『けーし風』読者の集い(9) 新政権下で<抵抗>を考える
『けーし風』読者の集い(8) 辺野古・環境アセスはいま
『けーし風』2009.3 オバマ政権と沖縄
『けーし風』読者の集い(7) 戦争と軍隊を問う/環境破壊とたたかう人びと、読者の集い
『けーし風』2008.9 歴史を語る磁場
『けーし風』読者の集い(6) 沖縄の18歳、<当事者>のまなざし、依存型経済
『けーし風』2008.6 沖縄の18歳に伝えたいオキナワ
『けーし風』読者の集い(5) 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』2008.3 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』読者の集い(4) ここからすすめる民主主義
『けーし風』2007.12 ここからすすめる民主主義、佐喜真美術館
『けーし風』読者の集い(3) 沖縄戦特集
『けーし風』2007.9 沖縄戦教育特集
『けーし風』読者の集い(2) 沖縄がつながる
『けーし風』2007.6 特集・沖縄がつながる
『けーし風』読者の集い(1) 検証・SACO 10年の沖縄
『けーし風』2007.3 特集・検証・SACO 10年の沖縄


北井一夫『湯治場』

2011-07-31 01:22:02 | 東北・中部

六本木のZen Foto Galleryで、北井一夫『湯治場』を観る。1970年代に、秋田や岩手や青森などのひなびた温泉地で撮られた作品群である。

土曜日の昼は北井さんのいつもの在廊パターンかと思っていたら、観ているうちに、やはりおにぎりが入ったコンビニ袋片手に現れた。

この写真群は、キヤノンIIDIVSbキヤノン25mm、一部はライカM3M4(まだM5を使いはじめる前)にエルマリート28mmにより撮られており、フィルムはトライXの1600増感が多いそうである。エルマリートによる作品は、「山形県滑川温泉」(17頁)、「宮城県仙台市」(20頁)、「栃木県三斗温泉小屋」(21頁)などだそうで、パッと見には違いはわからない。今回のプリントではなく、既に1990年ころには焼いていたのだという。

肌が凍てつくような寒さと湯気が共存する暗い空間、湯治客たちはほっとして笑顔を浮かべており、そういった姿が粒子感とともにもやっと浮かびあがる。宿の寒そうな室内では、板の床、何枚も重ねてある布団、そして子どもという生命体。これはたまらない。つい日本の原風景などとどこかで聞いたような言葉を口走りそうになるが、しかし、国などを超えた広がりを持つ原風景に違いない。やはり特別な写真家なのだ。

このように北井さんとお会いすると、写真と政治との関係性のような話になる。曰く、自分もそうだったからよくわかるのだが(『抵抗』や『三里塚』など)、芸術としての写真は政治に使うようなものであってはならない、と。話の中で、豊里友行さんや石川真央さんについても言及がある。考えるところ多い。

最近は、ライカM5+TMAX100ライカM6+トライX、レンズはエルマー50mm沈胴ズミクロン50mmが多いそうである。

今後の北井一夫情報

●『Walking with Leica 3』(印刷で時間がかかったが、そろそろ写真集が出るとのこと) ギャラリー冬青
●1965年、神戸の港湾労働者を撮った未発表写真群(2013年) ギャラリー冬青
●『村へ』カラー版!(2014年?) ギャラリー冬青
●『三里塚』 ワイズ出版のものよりも前の作品群、もうドイツの出版社のカタログには載っているとのこと

●参照 北井一夫
『ドイツ表現派1920年代の旅』
『境川の人々』
『フナバシストーリー』
『Walking with Leica』、『英雄伝説アントニオ猪木』
『Walking with Leica 2』
『1973 中国』
『西班牙の夜』
『新世界物語』
中里和人展「風景ノ境界 1983-2010」+北井一夫
豊里友行『沖縄1999-2010』