Sightsong

自縄自縛日記

山之口貘のドキュメンタリー

2011-07-22 01:09:17 | 沖縄

駒込の「琉球センター・どぅたっち」に足を運んだ。つい数日前、ここのブログで詩人・山之口貘のドキュメンタリーを上映するとの告知があったのだ。こんな機会を逃すわけにはいかない。山之口貘の命日は7月19日である。

■『貘さんを知っていますか』(NHK「ETV特集」、2004年)

山之口貘の娘・山口泉さんが、髭剃りに1時間をかける父親の遺伝なのか滅多に片付けない家から、見慣れない木箱を発見した。中には20本の録音テープが入っていた。山之口貘が自作の詩を朗読した肉声だった。その詩も、山口泉さんにとっては、詩作のときに近寄れないようなバリアを張っていた記憶とはかけはなれたものだった。

本名、山口重三郎(幼少名、サンルー)。現在那覇バスターミナルのある泉崎界隈で誕生。父・山口重珍は士族の血をひく銀行員で、標準語を話さない場合に見せしめに首にかけられる「方言札」を集めて便所に投げ入れるような精神の持ち主であった。重珍は鰹節事業に失敗、石垣島に移住し、重三郎は東京に渡る。関東大震災の時には、日本刀を持った男がうろうろする殺伐とした時空間を体験している(このとき日本人は朝鮮人を数千人虐殺したばかりでなく、「言葉が違う」沖縄人も殺したのだという)。そして貧乏生活のなか「汚れ仕事」をこなし、夢を食べる動物=貘をペンネームにしている。

ドキュには、那覇の与儀公園にある「座蒲団」の碑が登場する(なお、沖縄にはもうひとつ、大宜味村の芭蕉布会館に「芭蕉布」の碑がある)。高田渡は、吉祥寺の「いせや」で烏龍茶を呑んでいる。このとき亡くなる前年である。


与儀公園の「座蒲団」 Minolta Autocord、コダック・ポートラ400VC

佐渡山豊大阪大正区を歩く。4分の1の住民が沖縄出身であったというこの地、市営住宅の表札を見て、「喜屋武」を「キャン」ではなく「キヤタケ」と読み替えたり、「岩城」は「金城」から変えられたケースがあったという話をしている。これは沖縄差別への対応に他ならなかった。貘の詩は、それに対する直接的なプロテストではなく、気弱につきつけ、それが却ってパワーを持つものになったのだ、と佐渡山豊が語っている。

貘にも弱さがあった。死後、「オホゾラノ ハナ」、「アカイ マルイ シルシ」といった戦争協力に加担するような詩を書いていたことが発見され、話題になったという。貘は、敗戦まで、国民登録所というところで徴用補佐官として禄を食んでいたのだ。貘の詩では「紙の上」や「ねずみ」が好きだと言う詩人・高良勉は、波之上宮が見える海辺に佇み、貘は自分の弱さを自覚し、見つめていたのだ、取り立てて「ぼくは反戦詩人です」とは言わなかったのだ、と分析する。また、池袋の沖縄料理屋「おもろ」で上原成信さんらと話をしながら、貘の日本復帰運動は「泡盛を忘れず、蛇味線を忘れず、日本に戻ってこい」だった、文化を持っていた、いわば「複雑骨折」であったのだと回想している。

35年ぶりに沖縄に帰ったとき、貘は飛行機でなく船を選んだ。その理由が面白い。「35年間離れていたのに、3時間で那覇に降り立って、気でも狂ったんじゃ困る」というのだった。このとき、貘は「どちらが内でどちらが外かわからない」基地に違和感を覚え、三線を弾いていた酒場で米兵にレコードを聴きたいからやめろと言われ、またも沖縄人に劣等感を持たせるではないかという印象を持っている。そして、東京に戻ってからは虚脱したように詩を書けなくなっている。

亡くなる直前に貘が記者と話したときのテープがある。中学のときに恋愛をした女の子の名前は「グジー」だったが、今では沖縄からそのような名前は消え去ってしまった。方言がなくなるのが悲しいんじゃなくて、なくなるところに沖縄の生活があるわけなんだ、と。

動く山之口貘の映像を観ることができ、さらに亡くなる直前の高田渡の姿を目にすると、何だか胸が一杯になってしまった。


高田渡、吉祥寺 Pentax LX、A135mm/f2.8、Provia 400F

■ 『貘さんの詩がきこえる』(琉球放送「情報コンビニ・龍の髭」、2003年)

この年、山之口貘生誕100年を記念した「命どぅ宝」コンサートが開かれた。何と、佐渡山豊が声をかけ、三上寛が貘の詩を唄っている。「座蒲団」も「会話」も、三上寛が唄うといつもの世界、しかし詩が貘というのがあまりにも奇妙で面白い。三上寛は、貘の詩を「自分が10年かかって書いたんだからお前らも10年かかって読め」と言われているような世界だ、と興奮気味に話している。

この「会話」は、芝宇田川町(いまの大門あたり)の喫茶店「ゴンドラ」で、貘が気になる女性に自分の出身について話す奇妙な苦労を詩にしたものだ。佐渡山豊はその界隈を歩きながら、「ヤマト世になったときの貘さんの声を聴きたい」と呟く。

山之口貘の墓は、松戸市の八柱霊園にあるという。

 

また、終わってから集まった人たちと呑みながらいろいろ話した。昼間のイヤなことは忘れてしまった。

●参照
山之口獏の石碑
「生活の柄」を国歌にしよう
高田渡『バーボン・ストリート・ブルース』
『週刊金曜日』の高田渡特集
本間健彦『高田渡と父・豊の「生活の柄」』、NHKの高田渡
どん底とか三上寛とか、新宿三丁目とか二丁目とか
三上寛+スズキコージ+18禁 『世界で一番美しい夜』
中央線ジャズ