Sightsong

自縄自縛日記

『科学』と『現代思想』の原発特集

2011-07-03 14:30:10 | 環境・自然

『科学』2011年7月号(岩波書店)が、「原発のなくし方」特集を組んでいる。当然ながら、興味深い記事が多い。特に、圧力容器がくたびれて脆くなっているとの指摘は恐ろしい。

飯田哲也(環境エネルギー政策研究所) 原発が今後縮小していくことが「現実」である。夏の電力ピークは既存設備で対応できる。化石燃料への依存は「地獄への道」である(セキュリティ、温暖化、コスト増)。再生可能エネルギーへの戦略的シフトしか道はない。
井野博満(東大) 日本の原発は老朽化が進んでいる。それらの圧力容器は中性子照射により脆化が進んでおり、それは想定外のレベルにさえ達している。圧力容器が割れてしまったら大変なことになる。
勝田忠広(明大) 各原発での使用済み核燃料の貯蔵は満杯に近付いている。日本では貯蔵プールでの貯蔵の安全性について、原発本体よりも軽視されてきた。貯蔵プールにおける水中での貯蔵(湿式)ではなく、キャスク(コンクリートや金属容器)やサイロによる乾式貯蔵も可能である。六ヶ所村でも2012年から貯蔵が開始される。これにしても安全な解ではない。 >> リンク
原科幸彦(東工大) 日本の環境アセス法制化が遅れてきた理由は、発電所対象化に対する電力業界の反発にあった。簡易アセスメントや戦略的環境アセスメント(SEA)の整備が進んでいたなら、福島のように危険な場所に立地することが回避できた。>> リンク
樫本喜一(大阪府立大) 伊方、京大原子炉実験所は中央構造線の真上という危険な場所にある。日本において、リスクは危険な場所に集まる構造にある。

先日記者のDさんと呑んだ際に、東琢磨さんの最近の活動を訊いたところ、これに書いていたといって『現代思想』2011年5月号を貸してくれた。震災発生後まもなくして組まれた特集号である。

梅林宏道(ピースデポ) 超高度科学技術社会においては、一次情報を権力機構がまず受け取り、一般市民にはそれによる評価や判断、行動指針のみが示される。一般市民も、解釈を付与されないデータを与えられると怒りはじめる。その結果、権力機構が与えるのは、どこにでも行きつける「あみだくじ」になってしまう。この背景には、原子力の「平和利用」が軍事利用の一部であったこと、日米安保と日米原子力協力とが二頭馬車であったことが挙げられる。構造を変えるためには、非政府組織(NGO)を豊富にするしかない。
自衛隊の復興利用というもっともらしい説明にも注意すべき。

「国家権力が脱軍備することに比例して、権力機構の社会化が普遍化していくであろう。福島原発事態のような危機において、軍事力はまったく不必要である。空母ではなく移動型海上防災基地が必要なのであり、戦車や攻撃ヘリコプターではなく土木用重機や捜索救助のための緊急派遣救難隊が必要なのである。」

柄谷行人 阪神大震災以降、回復の名のもとに新自由主義化が進んだ。今回、低成長社会を受け入れ、新たな経済と市民社会の形成が掲げられるべきだろう。

森達也 「がんばれ」や「強い国ニッポン」のメディアでの連呼は、日本に内在する集団化への希求が顕れたものであって、それが都知事選での石原知事の圧勝ともつながっている。「ニッポン」には、在日外国人の被災という視点が含まれていない。今回、原発の是非を二者択一的に迫るような言説が多くなってきているが、これも集団化促進の際に発現しやすくなるものであって、実際にはもっとたくさんの選択肢がある。それは敵/味方、正義/悪の二者択一をもって悪政を進めたブッシュ政権とも共通する。「強い国」よりダウンサイジングのほうがしっくりくる。

吉岡斉 日本には本格的な原発解体・撤去の経験がない(原研の試験炉やプロセス途上の日本原電の東海一号機を除く)。これまでの廃炉コストの見積もりは過小評価であって、「クリーン」な廃炉でも100万kW級で1000億円はかかるだろう。さらに福島のような「ダーティ」なケースでは、解体・撤去だけで数兆円以上、さらには他のコスト(医療支援、生活支援、代替発電所建設、電力不足による経済的損失、土地利用の限定による経済的損失)を含めれば数十兆円にものぼるだろう。仮に50兆円だとすれば、従来原子力の発電コストだと喧伝されてきた5.9円/kWhを上回る6.7円/kWhが加算され、コストは倍以上となる。

飯田哲也(環境エネルギー政策研究所) 北欧やカリフォルニア州では、「反原発の大衆化」が政治的に利用され、社会制度の中に組み込まれてきた。それはドイツにおいて緑の党やエコ研究所という形となった。一方日本では、「反原発」は異端であり続け、政治的な稚拙さを置いておいても、本質的には、水俣病のように、「大衆的な異議申し立てを徹底的に無視し、却下し、異端視する政治文化」があったためである。
原子力をめぐっては、思考停止や知の空洞化が進み、そのため、軽い言説や無責任な御用学者の言説が流布している。

東琢磨 今私たちにできることは、「倫理的・美的に自粛を拒否すること」であり、「言語的にドグマを監視し見抜くこと」である。それは「下からの生政治」の展開につながるものだ。

矢部史郎 「私的領域に関するイデオロギー」を怒りをもって見直し、「生産領域に関するイデオロギー」を断罪せよ。

●参照
○黒木和雄『原子力戦争』 >> リンク
○『これでいいのか福島原発事故報道』 >> リンク
○有馬哲夫『原発・正力・CIA』 >> リンク
○原科幸彦『環境アセスメントとは何か』 >> リンク
○山口県の原発 >> リンク
○使用済み核燃料 >> リンク
○『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ) >> リンク
○『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』 >> リンク
○東北・関東大地震 福島原子力の情報源 >> リンク
○東北・関東大地震 福島原子力の情報源(2) >> リンク
○石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』 >> リンク
○長島と祝島 >> リンク
○既視感のある暴力 山口県、上関町 >> リンク
○眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』 >> リンク


実相寺昭雄『無常』

2011-07-03 12:37:58 | 関西

実相寺昭雄『無常』(1970年)を観る。随分久しぶりだが、改めて、実相寺とは偉大なるスタイリストであったのだと強く思う。『怪奇大作戦』『ウルトラマン』といったテレビシリーズでも、映画でもそうだった。晩年の『姑獲鳥の夏』(2005年)においてなお、マガマガしいまでの癖と毒を発散していた。


『アートシアター ATG映画の全貌』(夏書館、1986年)より

何の救いもない酷い物語であり、地獄極楽や悪に関する演説などはすべて実相寺の独特な撮影世界を引き立たせるために奉仕する。超広角レンズと魚眼レンズによる奥への/からの動き、下からのアングル、傾いた地平、逆光、ハイキー、画面半分での視線をそらした顔のクローズアップ。それはあまりにもわかりやすく、だからこそフォロワーが出てこない。

舞台は琵琶湖近くの旧家と京都である。丹波篠山を舞台にした『哥』といい、『怪奇大作戦』での「京都買います」「呪いの壷」での京都といい、なぜ江戸っ子の実相寺がこのあたりにこだわったのだろう。そういえば、悲惨な死に方をする書生を演じた花ノ本寿は、「呪いの壷」において自滅する男の役でもあり、毒粉を自ら浴びて黒目の色が変わる場面は忘れられない(『無常』での旧家と同じ日野という名前だった)。


ウルトラマンマックスとメトロン星人(『ウルトラマンマックス』、「狙われない街」の再現)
『ウルトラマン展』(2006年、川崎市民ミュージアム)より
Pentax SP500、EBC Fujinon 50mmF1.4、Velvia100

●参照(実相寺昭雄)
霞が関ビルの映像(『ウルトラマン』、「怪獣墓場」)
『時をかける少女』 → 原田知世 → 『姑獲鳥の夏』
怪獣は反体制のシンボルだった(『ウルトラマン誕生』)

●参照(ATG)
黒木和雄『原子力戦争』
若松孝二『天使の恍惚』
大森一樹『風の歌を聴け』
淺井愼平『キッドナップ・ブルース』
大島渚『夏の妹』
大島渚『少年』