Sightsong

自縄自縛日記

コーエン兄弟『トゥルー・グリット』、『バーン・アフター・リーディング』

2011-07-02 23:23:09 | 北米

飯田橋のギンレイホールで先週観た、ジョエル・コーエン&イーサン・コーエン『トゥルー・グリット』(2010年)が面白かった。映画館でコーエン兄弟を観るのは、『ファーゴ』(1996年)以来だ。

ウェスタンもコーエン兄弟の手にかかると、これほどに小気味良く斬新なのだなと思わせてくれる。時にスクリューボール・コメディーのようであり、またビリー・ワイルダーのようでもある。というのは、俳優ひとりひとりがセリフごとにケレン味たっぷりのパフォーマンスを見せる、その切り返しがワイルダーを思わせるのだ。

また、クローズアップ(蛇に咬まれた少女を乗せて走る必死の馬の横顔など)や、奇抜な角度での撮影(馬で走りながら、既に倒した相手の姿を見るショットなど)といった撮り方が、まるで、蛭田達也『コータローまかりとおる!』のような超高水準のアクション漫画のようでもある。

老保安官を演じたジェフ・ブリッジスの、やはりケレンが凄い。自分の記憶のなかでは、『恋のゆくえ』(1989年)の色男でとどまっていた。あれから20年以上経っているのだから当然だ。

大傑作だと評価するつもりは毛頭ないが、セリフも練られた佳作であることに間違いはない。

コーエン兄弟はやっぱり素晴らしいなと思い、ついでに、録画しておいた『バーン・アフター・リーディング』(2008年)を観る。読み終わったら燃やせ、つまり、昔のスパイ番組を想起させながら、CIAや諜報活動をコケにした映画である。これもやはりアクション漫画的。ジョン・マルコヴィッチも、ジョージ・クルーニーも、ブラッド・ピットも、フランシス・マクドーマンドも、悪乗りの許可を与えられて遠慮せず暴れているような感覚である。何度か腹が痙攣しそうになった。

それにしてもマルコヴィッチ、『コン・エアー』(1997年)といい、『RED』(2010年)といい、イってしまった化け物を演じても超一流。


伊坂幸太郎『重力ピエロ』と森淳一『重力ピエロ』

2011-07-02 10:55:48 | 東北・中部

伊坂幸太郎『重力ピエロ』(新潮文庫、2003年)を読む。『ゴールデンスランバー』(2007年)でも惹きつけられた、個人の発語と物語との奇妙なずれがあって、読むのをやめられなくなる。

仙台の連続強姦犯の子として生まれた男、自分の息子として育てる父、奇人変人でないために狂言廻しの役を演じる兄という「最強の家族」の物語である。伊坂幸太郎は、職業や立場によってではなく、あくまで個性によって人物を描く。それがとても巧い。

この小説では、罪を罪とも思わない連続強姦犯を殺すことが社会の規則を破っているからといって、それに支配されることをよしとせず、叛旗を翻す。『ゴールデンスランバー』では、国家という大きな力から逃げて、生き続けることを美学として掲げた。<個>というものに対する強い信なのだろう。

小説家は、目に見えるものに全面的に左右されることにさえ、強い疑いの眼を向ける。ローランド・カークに関するエピソードである。息子が、癌で入院している父に、カークのCD『Volunteered Slavery』を聴かせる場面がある。

「「この演奏しているのが盲目だと聞いて、俺には納得が行ったよ」 父が笑った。「この楽しさはそういう人間だから出せるんだ」
「そういう人間?」
「目に見えるものが一番大事だと思っているやつに、こういうのは作れない」 父の言わんとしていることは、薄らとではあったが、分かった。この、「軽快さ」は、外見や形式から異なるところから発せられているのだろう。しかも、わざと無作法に振舞うようなみっともなさとも異なり、奇を衒ってもいない。言い訳や講釈、理屈や批評家らもっとも遠いものに感じられた。」

ところで気になったこと。ある場面で、怪談話をひとつ紹介している。深夜に車で走り抜けると、後ろから四つん這いの女性がもの凄い速さで追ってくるという怪談だ。私は高校生のときに、『ムー』を愛読していて(笑)、中でも破天荒な話が満載の「私の怪奇・ミステリー体験」という連載が好きだった。その中に、まさにその話があって、あまりのバカバカしさとおぞましさのため、いまだに覚えている。「彼のバイクの後ろに乗って夜の山道を走っていると、彼が前方に何かを見つけて急停車し、Uターンした。道路には女が立っていた。恐怖に叫びながらバイクを走らせる彼。後ろを振り向くと、待て~などと叫びながら女が四つん這いで追いかけてきた」といったものだった。そうか、あれはポピュラーな話だったのか。今まで誰に話しても「何それ?」って顔をされたけど。

ついでに、映画化された、森淳一『重力ピエロ』(2009年)を観た。「仙台シネマ認定制度」では、これが第1回認定作品、第2回が中村義洋『ゴールデンスランバー』(2010年)だという。後者と違って、仙台にさほど詳しいわけではない私には、駅くらいしかわからない。今年は何だろう。

プロットも変えてありよくまとめてはあるが、小説が発散し続けている<個>の力が希薄である。彼らは<ことば>により形成されている<個>であり、当然それぞれが唯一無二の存在であることを見せつけなければならない。ところが、父は物分かりの良い男、既に亡くなった母は綺麗で苦悩を抱える存在。みんな奇人変人だったはずで、それでこそ<個>の価値が輝いたはずだ。母の役は、鈴木京香よりも、きっと樹木希林のほうがよかった。

●参照
伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』と中村義洋『ゴールデンスランバー』