Sightsong

自縄自縛日記

前田哲男『フクシマと沖縄』

2012-05-04 19:49:23 | 環境・自然

前田哲男『フクシマと沖縄 「国策の被害者」生み出す構造を問う』(高文研、2012年)を読む。前田氏は、『自衛隊 変容のゆくえ』(岩波新書)という良書も書いたジャーナリストである。

既に、高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)という本があるように、原発も米軍基地も共通の構造を持つことが露わになっている。この構造=システムに不可欠な要素を持つ場(福島、沖縄)のことを、高橋氏は「犠牲」と呼び、前田氏は「国策の生贄」と呼ぶ。もちろん、それぞれの場は人びとが生活する地域社会であり、そのようなテキストで括られることの良し悪しはあるだろう。しかし、確かに、そこに見られるのは、権力による意図的な「犠牲」「生贄」なのである。

著者は、長崎放送に入社し、長崎と佐世保での記者生活を送り、佐世保では、1964年からの米軍原子力潜水艦の寄港を取材している。佐藤政権の日本政府は、その安全性確保に関してまったく無力であった。そしてフリーになり、沖縄とミクロネシアを取材対象に選んでいる。

ミクロネシアは、西側のパラオ諸島(ペリリュー島など)、中央のマリアナ諸島(グアム島、サイパン島、テニアン島など)、東側のマーシャル諸島(ビキニ、ロンゲラップなど)からなる多数の島嶼地域である。戦後、ここで国連信託統治という支配方式を得た米国は、たびかさなる水爆実験を行う。1954年に被爆した第五福竜丸も、その被害者だ。しかし、その言説は、日本側の被害者のみを問題とする、非対称な視線によるものでもあった。

著者はビキニやロンゲラップなどマーシャル諸島に何度も通い、住民たちの被爆状況をつぶさに観察する。そこは、外からの視線が届かぬ、米国による人体実験場とでもいったところだった。あるところでは水爆実験だからといって島ごと移住させ、またあるところでは実験すら通知しない。しばらく経ち、除染したからもう安心だと言って島民を帰すが、怖ろしいほどの健康影響が出て前言撤回する。そしてその間、米国は欠かさずに人体のデータを取り続けている。おそろしいことだ。

重要なことだが、爆心地ビキニから500km離れた島でも、多少時期が遅れただけで、島民は同じ症状に苦しみ、亡くなっている。そのウトラック島民が浴びた放射線は、76時間に140ミリシーベルト。もちろん実験の回数にもより、蓄積量が問題となるのだが、著者はここで、低線量被爆の閾値は低いと考えるべきだとのメッセージを発している。ここで、かつての米国の残虐行為と、現在の日本の政策とが重なってくる。

著者がこのあたりで地図を買うと、日本は下半分しか載っていないようなものだったという。そして、むしろ、ミクロネシアと沖縄を一体として捉える見方があるのだという。沖縄も、サンフランシスコ講和条約により、「米国を唯一の施政権者とする信託統治制度」の下におかれた。ミクロネシアと同じ政治形態であった。

日本もまた、ミクロネシアに差別的な扱いを仕掛けている。1980年代初頭、低レベル放射性廃棄物をこの海域に投棄しようとして反対に遭い頓挫(これが六ヶ所村に向かった)。さらに同時期、高レベル放射性廃棄物を、水爆実験の跡地に陸地処分する案を公表している。これはそのまま鳴りをひそめているが、著者によれば、いつかまた再浮上しないという保証はない、という(最近のモンゴルのように)。

東日本大震災のとき、横須賀港に寄港していた原子力空母ジョージ・ワシントンは、大変な衝撃を受け、横転などにより最悪の事態もありえたのだという。このときジョージ・ワシントンは東京湾から逃げ出し事なきを得たが、これがまたないとは限らないのだと主張する。確かにそうだ、日本にある原発は54基だけではない、のである。これは意識外だった。

本書によると、ジョージ・ワシントンに装備された原子炉2基はそれぞれ40万kW相当、ほぼ福島一号炉と同じ。さらに原潜も横須賀に停泊している可能性が高い(2009年には延べ324日)から、東京湾に福島一号炉並みの原発が3基浮かんでいる状態が珍しくもないことになる、のだという。さて、これを誰が直視するか。

●参照(原子力)
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント
鎌田慧『六ヶ所村の記録』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
『これでいいのか福島原発事故報道』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
黒木和雄『原子力戦争』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
『伊方原発 問われる“安全神話”』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』
長島と祝島
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
既視感のある暴力 山口県、上関町
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』


孫崎享『日本の国境問題』

2012-05-04 09:09:28 | 政治

孫崎享『日本の国境問題 ― 尖閣・竹島・北方領土』(ちくま新書、2011年)を読む。(何しろインフルエンザで、寝っ転がってもそうそう眠れないのだ)

尖閣諸島、竹島、北方領土は、ずっと昔から日本の喉に刺さった小骨(大骨か)であり、緊張や交渉のたびに絶えず浮上してくる問題である。最近では2010年9月の尖閣諸島における中国漁船船長の逮捕、石原都知事の尖閣諸島購入計画、それから前原議員のロシア訪問。そのたびに、日本のメディアはまるで聖戦のごとく煽りたて、私たちは国民感情とやらを刺激されてしまう。

しかし、本書を読んで痛感することは、それが如何に一面的な見方であり、また、国民感情という名のナショナリズムが厄介な代物であるということだ。まるで隣国(中国、韓国、ロシア)を仮想敵国のように見立て、本当に衝突となったらどうなるかということなどには思いも馳せず、狭い家の中で目を吊り上げて似非マッチョな言辞を弄することなど愚の極みである。そうではなく、それぞれの係争地についてどのような歴史的背景があるかを知り、世界的文脈で如何にとらえるべきかを考えるべきだろう。本書はそれにうってつけの本である。わたしの目からも鱗が何枚も落ちた。

■ 尖閣諸島

日本側が主張することとは異なり、中国領であったとの証拠もある(井上清『「尖閣」列島』という研究があり、編集者のSさんが紹介している >> リンク)。「沖縄の領土」だとしても、少なくとも1879年の琉球国滅亡までは日中両属であったのであり、太古の昔から日本領ということでは決してない。もちろん両論あり、それぞれのネイションとしては簡単に引き下がれないところであるから、周恩来鄧小平ともに前向きな「棚上げ」をしてきた。

日中漁業協定」では、この海域において、「自国の漁船だけを取り締まる」こととなっており、これが抑止力となっていた(中国も取り締まってきている)。しかし2010年の衝突において日本が見せた対応は、明らかに日中漁業協定の違反であった。それを無視して「国内法で対応」とすることは、中国側にもそれを許すことになる。

なお、日米安保条約では、この地も発動の対象となる。しかし、本当に米国が動くかどうかは極めて疑問であるし、仮に中国が支配したら対象からはずれてしまう。それどころか、この摩擦を煽っているのは米国に他ならない(北方領土と同じ手法)。

■ 竹島

戦後処理において、竹島は日本の領土となった。しかし韓国の絶えざる働きかけにより、米国の竹島についての扱いは揺れ動き、現在では、米国における認識は「韓国領」となっている。2008年、町村官房長官(当時)による外交の怠慢が原因であった。そのため、原理的に、日米安保条約の対象とはならない。

■ 北方領土

ポツダム宣言において、日本は千島を放棄した。このとき国後・択捉・歯舞・色丹が南千島に含まれるかどうかは曖昧なままであって(どちらかというと無理がある論理)、むしろ、日本とソ連との接近を防ぎ続けるため、米英が意図的に曖昧にした経緯がある。1956年、日ソ国交回復のとき、歯舞・色丹の二島返還で妥結寸前までいったが、米国の圧力により、ハードルを高くさせられた(四島返還)。やはり、日ソ接近をおそれたのであった。

何とこのとき、ダレス国務長官は、重光外相に対し、「サンフランシスコ講和条約でも決まっていない国後・択捉のソ連帰属を認めるなら、米国も同様に、沖縄の併合を主張する」と脅したのだという。

なお、北方領土は日本の施政権下にはないため、やはり日米安保条約の対象とはならない。


知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』

2012-05-04 00:36:55 | 沖縄

インフルエンザB型でひどい状態。タミフルをはじめて呑んだ。

知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』(未来社、2012年)を読む。『未来』誌において連載されている「沖縄からの報告」を、2年分まとめたものである。

著者リレー式でのエッセイゆえ、各者各様だ。一篇ごとが短いとは言え、軽く読みとばすことはできない。

以下に、示唆的だと感じたこと。(敬称略、まとめは当方の解釈)

○沖縄が現状に対して批判的に対峙するときの立場は、①主権国家の中で調和的に発言権を獲得しようとする立場(「沖縄イニシアティヴ」など)、②近代国家の枠組みでの自決権をもとうとする立場、③主権国家とは別の理念に開こうとする立場(反復帰論など)(>> 参照:川満信一『沖縄発―復帰運動から40年』)、の3つに分けられる。特に③に関連して、名護市が1973年に掲げた「名護市総合計画・基本構想」(>> 参照:宮城康博『沖縄ラプソディ』)は、今なお注目に値する。(與儀)
普天間問題から見えてくるのは②の限界であり、それを直視しなければならない。(與儀)
○台湾、済州島、沖縄は、大きなものに回収できない記憶や文化的要素をもち、相互に反響しあうように広がっている。危機的であると同時に新たな視座を生み出す可能性を持つ場であり、このことは、これまでにも「ヤポネシア」「群島」「エッジ」などの言葉で語られてきた。(與儀)
○1898年に沖縄で徴兵令が施行されたが(それでも、抵抗が続いたために見送られての実施)、徴兵忌避者が続出し、何人かは清国に亡命、ハワイや南米への渡航をしたという。このことが日本政府でも問題となり、1910年には軍による視察がなされ、検査場での暴行と抵抗という「本部事件」が起きた。これは単なる徴兵忌避ではなく、日本政治の忌避であった。(後田多)
○2011年、沖縄県立図書館に「山之口貘文庫」ができた。ここは、初代館長・伊波普猷、三代目館長・島袋全発など、沖縄にとっては重要な意味を持つ場である。図書館がある与儀公園には、山之口貘の詩碑(>> リンク)がある。(後田多)(そういえば、以前に詩碑を探しに足を運んだ時、腹痛を覚えて図書館に駆け込んだ記憶が・・・)
○かつて岡本恵徳は、「集団自決」について、幻想的に共生を求める共同体の力が働いたのではないかと指摘した。東日本大震災の後の「がんばろう日本」には同じ側面がある。救済されなければならないのは国家ではなく被災者である。(與儀)
○1972年の沖縄の施政権返還は、基地の全面撤去という民意を利用しながら、軍事構造の維持と日米共同管理を再確認するためのセレモニーであった。したがって、沖縄が「日本復帰」を主体的に選択したとは言えない。(與儀)
ジャック・ランシエールは、「多様な言説が生産される高度情報社会の時代に発動するような、巧みな合意調達に基づく社会形態」を<ポスト民主主義>と名付けた。震災後、国家と軍隊への視線は巧みに固定され、同時に沖縄も視えない遠隔地に固定されてしまうのではないか。<ポスト民主主義>下の統治とは、テクストへの隷従を意味し、そこでは公式化されたテクスト(「3・11」のような)が、権力構造を形成してしまう。(桃原)

「あとがき」に、本書のタイトルについて知念ウシ氏が悩んだ顛末がある。『闘争する境界』と言われ、当初、氏は『逃走する境界』かと思ったという。考えてみるとこれは単なるギャグではない。本書において桃原一彦氏の指摘する、テキストによる囲い込み、権力構造の構築が常に沖縄になされ続ける策動なのだとすれば、ドゥルーズ的にそこからの絶えざる逃走を図ること、それを暗に意味しているのではないかと思ったのである。