Sightsong

自縄自縛日記

A.R.ペンクのアートによるフランク・ライト『Run with the Cowboys』

2012-05-06 21:46:19 | アヴァンギャルド・ジャズ

1997年に世田谷美術館で開かれたA.R.ペンクの個展会場では、ペンクが叩くドラムスの音がBGMとして流されていた。それ以降、絵描きとしてのペンクよりも、音楽家としてのペンクに興味があったのだが、なかなか実際の音を聴くことはなかった。(なお、ペンクは1980年に東ドイツから西ドイツに亡命しており、奈良美智の師匠でもある。)

フランク・ライト『Run with the Cowboys』(1983年頃)は最近入手したLPで、おそらくは、直接的にか、限られたギャラリーにおいてのみ頒布されたものである。勿論ジャケットは裏表共にペンクの手によるもので、本人はピアノやフルートで参加している。

Frank Wright (sax, vo)
Peter Kowald (b)
Frank Wollny (g)
Coen Aalberts (ds)
A.R. Penck (p, fl, vo)

そんなわけで聴いてみると、良い意味でも悪い意味でも予想を裏切らない。ライトは、ぶぎゃー、のうぇー、ひゃー、とサックスを吹きまくり、ときに興奮してか意味不明な言葉を叫ぶ。ペーター・コヴァルトのベースはいつもながら素晴らしく、指でも弓でもその音色は絹のようだ。時に皆を押しのけてギターが全体を支配する奇妙さは愛嬌。

そしてペンクである。よくわからないキーボードと、よくわからない笛と、(ライトに比べると)か細い叫び。おっさんおっさん、何のつもりだ。評価不能である。

結論、ペンクはアートワークで十分。

ところで、YoutubeにこのLPのA面がアップされていた。おそるべし。(>> リンク

●参照
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(ペンクの絵の前でライトやブロッツマンが吹く映像、コヴァルトのインタビュー)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(コヴァルトのヘタウマな絵)
2010年と1995年のルートヴィヒ美術館所蔵品展(ペンクの絵)
ヨーロッパ・ジャズの矜持『Play Your Own Thing』(ゲオルグ・バゼリッツがペンクについて語る)


勅使河原宏『燃えつきた地図』

2012-05-06 09:48:26 | 関東

勅使河原宏『燃えつきた地図』(1968年)を観る。安部公房と組んだ映画としては、『おとし穴』(1962年)、『砂の女』(1963年)、『他人の顔』(1966年)に続くもので、最後の作品である(唯一の大映作品でもある)。

この映画はしばらくの間、ほとんど「幻の作品」だった。1997年か98年頃に、安部公房についての連続シンポジウムが調布で開かれ、何度か足を運んだのだが、そのときのこと。パネラーとして壇上にいた勅使河原宏に、客席から質問があった。「わたしは勅使河原さんの映画をほとんど観ていますが、『燃えつきた地図』ばかりはどうやっても機会がないのです。」「いやあ、ぼくももう一度観たいと思っているんだけどね、どうやったら観られるんだろうね」 ・・・障壁は大映だったのか、それとも勝プロだったのか。

その後、勅使河原宏のDVDボックスにも収録され、上映もぽつぽつとされるようになった。しかしボックスは高く、機会は依然ない。そして最近、海外上映版『The Man without a Map』の廉価DVDを発見した。

探偵(勝新太郎)は、失踪した夫を探してほしいとの依頼を受ける。誰もが非協力的でよそよそしく、依頼人(市原悦子)でさえも、本当に夫の行方を知りたいのか判然としない。依頼人の弟はヤクザであり、事件に巻き込まれて殺される。失踪者の同僚(渥美清)は、失踪者の性癖を明かしたうえで探偵をヌードスタジオに誘いこむが、なぜか絶望し、逃げ出すように電話ボックスのなかで公開自殺してしまう。失踪者と関係があったかもしれない喫茶店の主人(内藤陳かと思ったら信欣三だった)は、嗅ぎまわる探偵を大勢で殴り倒す。探偵は依頼人のもとに戻る。そして都会の迷宮に彷徨う探偵は、ビルとビルの間に身を潜め、自らが失踪者と化すのだった。

すべてが予兆的で謎めいており、他の勅使河原=安部作品にはない雰囲気を作りあげている。とは言っても、前面に人の肩や壁や暖簾を配した、都会での覗き見のような雰囲気のカメラワークが、少々やり過ぎだ。都会のビル群をバックにした砂漠シーンも大袈裟だ(多摩ニュータウンでの撮影こそが荒涼として良い)。それから、何しろ、勝新太郎、渥美清、市原悦子という怪優たちが強すぎるのである(勿論、これは嬉しい側面でもある)。

前述のシンポジウムでのこと。勅使河原宏は、「勝新太郎という人は、こちらが如何に演出をしようとも、必ず自分のキメのシーンを作ろうとする人でね」と話していたが、確かに勝手が違ったのだろう。実は勝新はこの映画出演から、多くのものを得ていた。

勅使河原宏「あの人は、見得を切ったところで拍手をして、それで成り立つものしかやってこなかった。だから不安だったんだけど、ぼくの揺れ動きながらやっていく手法で、映画ができるということを知って、それから『座頭市』でみずから監督をやるようになったんです。彼にとっては、あの映画が大きな転換になったと思いますね。」(勅使河原宏+四方田犬彦『前衛調書』)

四方田犬彦「・・・あのフィルムも不思議ですね。『寅さん』と『座頭市』という二大プログラム・ピクチャーからすらすらと主役を借りてきて、全く違う人間像を生み出したんですから。」(勅使河原宏+四方田犬彦『前衛調書』)

安部公房自身はこの映画のことをあまり好ましく思っていなかったようだ。わたしも原作を読んだのは高校生の頃だから、「・・・・・・」の多い冗長な小説だなと思った以上の印象が実はない。暴動が起きる野外で、屋台のラーメン屋の親爺が、作りながら股間にやたらと手をやるので、探偵が食欲を一瞬失う、という下りは妙に覚えていて、映画ではどうなのだろうと注目していたところ、割り箸で頭だか首だかを掻いてすぐにテーブルの箸立てに戻すというシーンに変っていた。(いずれにしても汚いね。)

決して傑作と呼べるようなまとまった映画でもないし、もちろん駄作ではありえない。奇妙な吸引力を持った映画だった。長年の願望が果たされたわけだし、まずは、めでたしめでたし。

●参照
勅使河原宏『おとし穴』(1962年)
勅使河原宏『十二人の写真家』(1955年)
安部公房『方舟さくら丸』再読
安部公房の写真集
安部ヨリミ『スフィンクスは笑う』