Sightsong

自縄自縛日記

ジョルジォ・ガスリーニ『Gaslini Plays Monk』

2012-05-24 08:05:14 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョルジォ・ガスリーニ『Gaslini Plays Monk』(Soul Note、1981年)は、ソロピアノによる、かなりヘンなセロニアス・モンク集だ。モンク自身がヘンを超えた唯一者であり、モンクにインスパイアされたモンク集は数多いのだが、それにしてもこれはヘンである。

Giorgio Gaslini (p)

ガスリーニはイタリアの巨匠であり、本作も、イタリアそして欧州に立脚する者からのモンクへのオマージュだと語っている。

本人による演奏曲の解説がマジメなのかフマジメなのか微妙で愉快だ。

「Monk's Mood」「Ask Me Now」「Epistrophy」は、「テーマとヴァリエーション」ではなく「構造配列とテーマ」に沿ったもの。最初に奇妙な構造が構築され、どこに連れて行かれるのかと思いきやテーマに戻ってくる面白さがある。

「Let's Cool One」は、「ミクロな構造」からテーマへの発展。「Ruby My Dear」「Let's Call This」は、テーマの和音構造の拡張。と言っても、ヘンな方向に拡張していくのであって、何だか聴いていると、パラノイア的なダリの蟻を思い出す。

「Round About Midnight」「Epistrophy」は解体。プリペアド風でもあり、これは遊戯だ。

「Blue Monk」では、休止とピアニスト本人による咳が大きな要素となり、やはりテーマに戻ってくると安心する。この音楽家が、モンクに匹敵する強度を持つ証拠ではなかろうか。

「Pannonica」は、「Take The A Train」のイントロから始まり、美しいテーマを大事にした演奏である。

何度聴いても何かを発見したような気になる。ガスリーニの演奏はこの盤しか持っていないのだが、他にも聴いてみたいところだ。

●参照
ローラン・ド・ウィルド『セロニアス・モンク』
『失望』のモンク集
セロニアス・モンクの切手
ジョニー・グリフィンへのあこがれ
『セロニアス・モンク ストレート、ノー・チェイサー』


『沖縄からの手紙』

2012-05-24 00:38:54 | 沖縄

「NNNドキュメント'12」において放送された、『沖縄からの手紙 祖国復帰40年の今』(2012/5/20)を観る(>> リンク)。

沖縄の日本への施政権返還(1972/5/15)から40年が経った。そのとき「復帰」との高揚を利用する形で、時の佐藤政権は政治的成功を演出し、その裏で、米軍基地を温存した。今なお残る基地問題の象徴として、このドキュでは、東村高江の反対の様子や、普天間基地近くの小学生が騒音で耳をふさぐ様子や、日本・沖縄の主権が奪われた沖縄国際大学ヘリ墜落事故の映像を示している。祖国復帰運動に身を投じた青山恵昭さんは、「まだ祖国復帰していない」とさえ語る。

沖縄を切り離したサンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日は、沖縄にとっての「屈辱の日」と呼ばれた。それはずっと、復帰運動にとって大事な日であり続け、1967年の同日には、日本と沖縄とが国境の海で握手を交わす「沖縄返還要求海上集会」が行われたり、また「復帰」40年後の今年の同日には、国頭村と与論島が協力した記念式典が行われたりしている。この文脈において、沖縄本島最北端の辺戸岬はやはり大事な場所でもあり、あらためて、かがり火が焚かれている。

「復帰」への多くの人による想いと、現在も続く矛盾とが、対照的に描かれた短いドキュメンタリーである。しかし、何のためらいもなく「本土」という言葉を使ったり、「復帰」という言葉自体が孕む亀裂に何も触れなかったりと、深みのなさに不満が残る。

●参照
『沖縄が日本に還った日~1972.5.15~』
『世界』の「沖縄「復帰」とは何だったのか」特集
60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
小森陽一『沖縄・日本400年』

●NNNドキュメント
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』(2011年)、『基地の町に生きて』(2008年)
『風の民、練塀の町』(2010年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『シリーズ・戦争の記憶(1) 証言 集団自決 語り継ぐ沖縄戦』(2008年)
『音の記憶(2) ヤンバルの森と米軍基地』(2008年)
『ひめゆり戦史・いま問う、国家と教育』(1979年)、『空白の戦史・沖縄住民虐殺35年』(1980年)
『毒ガスは去ったが』(1971年)、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1979年)
『沖縄の十八歳』(1966年)、『一幕一場・沖縄人類館』(1978年)、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』(1983年)