沖縄の写真雑誌『LP』(H18、2012年春号)が、豊里友行さんの特集を組んでいる。それらの写真群は「カーニバル」と題されており、主に、米軍基地公開時の「カーニバル」を捉えている。
ここに焼かれている写真には、沖縄の家族たちが、憩いの場として米軍基地に佇み、米兵たちと無邪気に交流し、あろうことか子どもたちに殺人兵器をゲームパークよろしく触らせる姿がある。おぞましいからといって現実だ。もはや風景と化した米軍基地や米兵が、プロテストの対象となるわけはない、のである。写真群は、世界の裂け目をみごとに捉えている。
中には、『沖縄1999-2010』に収録されている写真もある。大きな違いは、前作が、政治や社会問題への直接的な言及を志向していたこと、そしてその視線の先にある問題群があまりにも多様のため、写真が、問題の説明のための存在と化していたかもしれないことであろう。
そのことが、写真という芸術にとって(これらは記録も兼ねるとはいえ記録のみを志向したものではない)、邪道なものであったか。北井一夫さんは、豊里さんの写真を評して、もう政治の季節は終わったのだ、政治に過度に依存すべきではない、と繰り返していた。わたしはその意見には半分しか共感しない。写真芸術を独立的なアートだとするのはナイーヴに過ぎるからだ。
しかし、今回の写真群は、前作よりもアートとしてそこに存在しているように見える。共通する写真が多いにも関わらずである。だからといって、現実の問題との距離が遠くなったわけではない。テーマが絞られたからだろうか。それ以上に何かがあるように思える。
●沖縄写真
○豊里友行『沖縄1999-2010』、比嘉康雄、東松照明
○豊里友行『彫刻家 金城実の世界』、『ちゃーすが!? 沖縄』
○豊里友行『沖縄1999-2010 改訂増版』
○石川真生『日の丸を視る目』、『FENCES, OKINAWA』、『港町エレジー』
○石川真生『Laugh it off !』、山本英夫『沖縄・辺野古”この海と生きる”』
○『LP』の「写真家 平敷兼七 追悼」特集
○平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志
○比嘉豊光『光るナナムイの神々』『骨の戦世』
○比嘉豊光『赤いゴーヤー』
○東松照明『南島ハテルマ』
○東松照明『長崎曼荼羅』
○「岡本太郎・東松照明 まなざしの向こう側」(沖縄県立博物館・美術館)
○森口豁『アメリカ世の記憶』
○仲里効『フォトネシア』
○沖縄・プリズム1872-2008