ジャック・ラカン『二人であることの病い パラノイアと言語』(講談社学術文庫、原著1930年代)を読む。ラカンのごく初期の論文集である。
精神分析論は趣味でもないのだが、おそらくはラカンの作品が文庫化されるのははじめてであろうこともあって、手に取ってみた。
ここには、ラカンが精神科医として向き合った「エメ・A」や「パパン姉妹」の症例とその分析がある。後年よりも明晰というがやはり晦渋な表現であり、あまり魅かれるものではない。しかし、この分析は私たちの日常に潜むものであることは痛いほど伝わってくる。
自らの理想像を他者に投影し、他者が自己そのものになり、そのことが自己の形成を支配する。「エメ・A」は華やかな有名人の姿において、「パパン姉妹」はお互いの姿において、自己を育てた。いずれ発現する矛盾は、被害妄想と、それを解消するための他者への暴力や自罰へと向かうのである。
ああ怖ろしい。もうこんなもの読まなくてもよい。