Sightsong

自縄自縛日記

パン兄弟『バンコック・デンジャラス』

2012-08-04 17:15:47 | 東南アジア

パン兄弟『バンコック・デンジャラス』(2008年)を観る。

殺し屋ニコラス・ケージが、足を洗う最後の仕事を行うため、バンコクを訪れる。あとは山あり谷あり、友情あり恋あり。ニコラス・ケージは多くの映画で「アブない世界に身を置く実力者かつ善人」だが、ここでも、そのキャラクターに依存した映画作り。別に傑作でも駄作でもない。

それはいいとして、彼が使っていた時計に目を奪われた(殺し屋は時間に正確でなければならない)。調べてみると、スイスのVenturaというメーカーの「V-TEC SIGMA」という製品(>> リンク)。17万円くらいして、たぶん今後も使うことはない。バンコクで雇う運び屋が、もともとパッポン通りなどで外国人に偽物のロレックスを売りつけたりしている奴で、そのコントラストが楽しかった。まあ、偽ロレックスも使うことはないだろうが。

面白いデジタル時計を使うなら、米国TIMEXのWS4なんかちょっと欲しい(>> リンク)。しかし、別に山登りもしないので、これも買うことはない。


アラン・レネ『ヒロシマ・モナムール』

2012-08-04 13:43:31 | 中国・四国

アラン・レネ『ヒロシマ・モナムール』(1959年)を観る。かつては『二十四時間の情事』という邦題で日本公開された作品だが、いまではこの最低なタイトルは使われなくなってきている。

袋小路のなかで、いつの間にか同じところを通っているような、謎めいたマルグリッド・デュラスの脚本。レネは2年後、アラン・ロブ=グリエの脚本で『去年マリエンバートで』(1961年)を撮るが、これは、はったりの迷宮でもあった。それに比べ、本作は、しっとりと沈静するような世界であり、いま観ても嫌味なところはない。

戦後10年以上が経った広島。反戦映画に出演するために来日したフランス人女優(エマニュエル・リヴァ)は、建築家の男(岡田英次)と一夜の恋に落ちている。女は熱心に広島の原爆投下を学び、ベッドの中で、「わたしはすべてを見た」と言うが、男は「きみは何も見ていない」と繰り返す。翌日にはパリに帰るという女、引き止める男。

女は、終戦直前のフランス・ヌベールにおいて、ドイツ人の男と愛し合い、そのために非国民と罵られ、髪の毛を短く刈られ、地下室に軟禁されていた。駆け落ちしようと待ち合わせた場所で、ドイツ人の男はすでに撃たれ、死ぬ間際だった。それはフランス解放の直前だった。現在のヒロシマと過去のヌベールが交錯し、「あなた」はドイツ人の男であり、日本人の男でもあった。ロワール川はまた同時に太田川でもあった。

デュラスはこの映画について、「ヒロシマを語ることの不可能性、語ることが不可能であることしか語りえない」と書いたという。かつてルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインは、「語りえないことについては沈黙しなければならない」と書いた。ヴィトゲンシュタインがそのように書くこと自体が沈黙ではなく、<語り>についての大きな矛盾を孕んだものだった。

「語りうることは、既に語られたことである」ということは、<歴史>なるもののあやうさをまた語っている。広島も、「ヒロシマ」というカタカナによって異化せざるを得ない対象であり、わたしたちも、<語り>のなかでしか「ヒロシマ」を見ていない。わたしもまたエマニュエル・リヴァである。

●参照
アラン・レネ『去年マリエンバートで』、『夜と霧』
新藤兼人『原爆の子』
被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(1)
被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(2)
『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』
原爆詩集 八月
青木亮『二重被爆』、東松照明『長崎曼荼羅』
『はだしのゲン』を見比べる
『ヒロシマナガサキ』 タカを括らないために


広瀬淳二『the elements』

2012-08-04 10:04:27 | アヴァンギャルド・ジャズ

3日前に足を運んだライヴハウス「七針」で聴いた広瀬淳二のテナーサックスが素晴らしかったので、ソロサックス集『the elements』(doubt music、録音2009-20年)を求めた。聴こうと思って気になっていたCDではあったのだ。広瀬氏は「やった!売れた!」を連発していた(笑)。

まずはCDウォークマンに入れて、通勤中に聴く。

ライヴと同様、高音で攻めはじめ、1時間弱の間、さまざまな周波数と味が脳を震わせる。音の重なり、倍音、ノイズ。それらが曲やパフォーマンスに奉仕するのでもなく、音そのものを目的とするかのように響く。

響くといえば、「七針」でも、氏が音を発した瞬間、室内のあちこちから何ものかが何かを叫び囁いたように感じたのだった。すべて「なってるハウス」で録音されたこの演奏でも、その場全体が取り込まれているように聴こえる。吹くとは生きることだ、なんて思えたりもして。

最近の氏の演奏をまったく聴いていなかったので、「いまでは手作りのノイズマシーンみたいなものは使わないのか」と訊いてみると、いやいやそれもやっている、とのこと。CDのジャケット裏面には、白いマーカーで、手作りマシーンの絵を描いてくれた。

●参照
広瀬淳二+大沼志朗@七針