アラン・レネ『ヒロシマ・モナムール』(1959年)を観る。かつては『二十四時間の情事』という邦題で日本公開された作品だが、いまではこの最低なタイトルは使われなくなってきている。
袋小路のなかで、いつの間にか同じところを通っているような、謎めいたマルグリッド・デュラスの脚本。レネは2年後、アラン・ロブ=グリエの脚本で『去年マリエンバートで』(1961年)を撮るが、これは、はったりの迷宮でもあった。それに比べ、本作は、しっとりと沈静するような世界であり、いま観ても嫌味なところはない。
戦後10年以上が経った広島。反戦映画に出演するために来日したフランス人女優(エマニュエル・リヴァ)は、建築家の男(岡田英次)と一夜の恋に落ちている。女は熱心に広島の原爆投下を学び、ベッドの中で、「わたしはすべてを見た」と言うが、男は「きみは何も見ていない」と繰り返す。翌日にはパリに帰るという女、引き止める男。
女は、終戦直前のフランス・ヌベールにおいて、ドイツ人の男と愛し合い、そのために非国民と罵られ、髪の毛を短く刈られ、地下室に軟禁されていた。駆け落ちしようと待ち合わせた場所で、ドイツ人の男はすでに撃たれ、死ぬ間際だった。それはフランス解放の直前だった。現在のヒロシマと過去のヌベールが交錯し、「あなた」はドイツ人の男であり、日本人の男でもあった。ロワール川はまた同時に太田川でもあった。
デュラスはこの映画について、「ヒロシマを語ることの不可能性、語ることが不可能であることしか語りえない」と書いたという。かつてルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインは、「語りえないことについては沈黙しなければならない」と書いた。ヴィトゲンシュタインがそのように書くこと自体が沈黙ではなく、<語り>についての大きな矛盾を孕んだものだった。
「語りうることは、既に語られたことである」ということは、<歴史>なるもののあやうさをまた語っている。広島も、「ヒロシマ」というカタカナによって異化せざるを得ない対象であり、わたしたちも、<語り>のなかでしか「ヒロシマ」を見ていない。わたしもまたエマニュエル・リヴァである。
●参照
○アラン・レネ『去年マリエンバートで』、『夜と霧』
○新藤兼人『原爆の子』
○被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(1)
○被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(2)
○『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』
○原爆詩集 八月
○青木亮『二重被爆』、東松照明『長崎曼荼羅』
○『はだしのゲン』を見比べる
○『ヒロシマナガサキ』 タカを括らないために