Sightsong

自縄自縛日記

ジョセフ・フォン・スタンバーグ『上海特急』

2012-08-18 22:19:52 | 中国・台湾

ジョセフ・フォン・スタンバーグ『上海特急』(1932年)を観る。中古DVDが105円だった。

スタンバーグとマレーネ・ディートリッヒが組んだ作品としては、1930年に『嘆きの天使』と『モロッコ』、1931年に『間諜X27』、そして本作はその翌年。ふたりにとって絶好調の時期に違いない。

1931年、北京から上海へと向かう特急列車が映画の舞台。ちょうど国民党が北京を北平と改称していた時期であり、駅の場面でも両方の名前が併記されている。「上海リリー」と呼ばれる魔性の女(ディートリッヒ)は、かつての恋人である英国将校と列車で再会する。謎めいた中国女性、頑固な英国女性、頑固な牧師など、さまざまな人が乗り込む列車は、突然、革命党(共産党)に止められる。党の悪辣な司令官チェンは、逮捕された仲間を取り戻すため、人質を探していたのだった。チェンは英国将校を選び、中国女性を暴行しさえする。将校を愛するリリーは、自分の身を投げ出して、彼を救おうとする。

ソフトフォーカスで、しかも顔の陰影を強調したライティングでのディートリッヒは、もう美しい限りなのだ。「妖艶」とは「妖しい」と「艶っぽい」、その通りである。当時の観客の眼を釘づけにしたのも無理はない。

スタンバーグの演出はさすがに手馴れている。北京の狭い路地を特急列車(とはいっても蒸気機関車)が走る様子など、きっと遠い中国への興味をかきたてるものだっただろう。「魔都」上海も、両大戦の間にあって、ヨーロッパ列強諸国が投資し、繁栄した時期であり、多くの視線を引き付けていたのだろう。

とは言え、その視線はやはり歪んでおり、どうしてもアジアへの蔑視を映像のそこかしこに見出さざるを得ない。

東北において満州国建国の策動を行っていた日本は、間もなく、上海事変を引き起こすことになる。

わたしは北京と上海の間を陸路で移動したことはないが、いまでは新幹線(高速鉄道)が開通している。何年か前、ちょっと内陸に行くにも列車に乗り苦労していたことを思い出せば(二日酔いで文字通り死にそうになったこともある)、いまの中国における高速鉄道網の整備ぶりにはあらためて驚かざるを得ない。しかも、上海にはリニアモーターカーまである。

●参照
新幹線「和階号」
郭昊(グォ・ハォ)による雪や靄のけぶる中に見える列車の絵
王福春『火車上的中国人』
中国の蒸気機関車
上海の麺と小籠包(とリニア)


オスプレイの危険性(2)

2012-08-18 10:59:52 | 沖縄

この6月27日に、オスプレイの危険性に関して防衛省が回答を示している。それに関して一坪反戦地主会のYさんが送ってくださったレビュー表(下)によると、やはり問題がいくつも指摘できるようだ。何より、「安全」だとの回答はなされていない。

2012年4月にモロッコで起きた事故については、米海兵隊が「機体の欠陥によるものではなく、パイロットの操縦ミス」だとする調査報告書を公表している(>> 沖縄タイムス記事)。これまでの事故について防衛省回答をみても、同様に片付けているものが目立っていることがわかる。そもそも、人為ミスにより事故が起きるような機体こそ、欠陥があると言うべきなのではないか。

なお、オートローテーション機能(エンジン停止時にもプロペラによる浮力が働く)についても、この期に及んで、防衛大臣が危険性認識を示している(>> 沖縄タイムス記事)。


※クリックで拡大

●参照
10万人沖縄県民大会に呼応する8・5首都圏集会(オスプレイ阻止)
オスプレイの危険性
6.15沖縄意見広告運動報告集会
オスプレイの模型
60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
辺野古の似非アセスにおいて評価書強行提出
前泊博盛『沖縄と米軍基地』
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
○シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2)(3)(4)(5)(6
『世界』の「普天間移設問題の真実」特集
大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
二度目の辺野古
2010年8月、高江
高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘
高江・辺野古訪問記(1) 高江
沖縄・高江へのヘリパッド建設反対!緊急集会
ヘリパッドいらない東京集会
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(1)
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(2)
「やんばるの森を守ろう!米軍ヘリパッド建設を止めよう!!」集会(5年前、すでにオスプレイは大問題として認識されている) 


中野聡『東南アジア占領と日本人』

2012-08-18 00:25:15 | 東南アジア

中野聡『東南アジア占領と日本人 帝国・日本の解体』(岩波書店、2012年)を読む。

本書は、軍人や、宣伝のために駆り出された作家たちの「語り」を通じて、日本の「南進論」の根本的な矛盾や実相を浮き彫りにしている。なかには、検閲を意識してか実状を避ける者もある。回想において偏った記憶のみを綴る者もある。それらを含め、ひとつの歴史が形作られている。

後藤乾一『近代日本と東南アジア 南進の「衝撃」と「遺産」』(>> リンク)が説いているように、「南方占領」は、第一義には資源の獲得(石油、鉄、稀少資源、ゴム、米など)が目的であり、「大東亜共栄圏」構想など欺瞞にほかならなかった。しかし、本書によれば、それは中長期的な戦略を練った上での方針ではなく、日本の対外政策に対する米国の予想を超える反発や、ヨーロッパにおけるドイツ軍の優勢という好機を受けての結果に過ぎなかった。政府や日本軍のなかに批判的な意見も多くあったが、その声は押しつぶされていく。

欺瞞とは、国家自存のため資源獲得に動くのであり覇権のためではないとアピールすること、それは秩序安定のためでもあると言うこと、やがて、資源獲得のためであるにも関わらず「聖戦」「大東亜共栄圏」を謳うこと、すなわち本質を大義で糊塗すること。しかしその大義とは、他者、すなわち占領される者との相互理解や共感を前提としない、独りよがりなものであった。

他者と解り合おうとしないばかりでなく、日本の東南アジア支配は、在来農業を歪め、物流を機能不全に陥らせ、当然、日常生活を破壊した。いまだ神話のように残る、日本は結果的に東南アジアの独立に手を貸し、経済発展にも貢献したのだというクリシェは、実態に基づかないものであることがわかる。

「宿主と中長期的に共生できる見通しがなく、宿主を死に至らしめる寄生者は宿主から見れば排除すべき病原体でしかない。そのような意味において、日本の軍事支配は、東南アジアを数年で飢餓と死に至らしめる存在でしかなかった。そして日本帝国にできたことは、占領地の経営ではなく、暴力と武威による、帝国の最も古代的な形態としての戦利品の略奪に過ぎなかったのである。」

日本政府は、「独立」という言葉を出し入れした。すなわち、西欧支配からの解放など方便であった。ビルマやフィリピンには傀儡政権を、仏印のベトナム・カンボジア・ラオスにも敗戦直前に傀儡政権を打ち立て、インドネシアには最後まで形だけでも独立を与えなかった。東條英機は、傀儡政権を日本の「弟」であるかのように見なす「満州国モデル」を信奉していたという。しかし、当の東南アジアの側は、決して日本の言うがままに従っていたわけではなかった。 

やがて、この独りよがりで暴力的な国家経営は破綻する。著者は、このときはじめて日本人が他者としての東南アジアと接したのだとする。中には、インドネシア・ナショナリズムという「他者の正義」に魅了され、独立運動に自らを同一化させた日本人も現れたのだという。勿論、それは日本の支配という歴史とはまったく別のものとして見るべきである。

それが現在の日本において実をならし続けているのか。わたしには、国境問題を巡り、他者には国境問題など存在しないとして議論を拒否し、その逆の行動に遭うや極めてヒステリックな反応を示す日本が、他者との相互の応答を身に付けているとは思えない。

●参照
後藤乾一『近代日本と東南アジア』
波多野澄雄『国家と歴史』
高橋哲哉『戦後責任論』