バンコクにいる間に、石井寛治『日本の産業革命 日清・日露戦争から考える』(講談社学術文庫、原著1997年)を読了。
明治国家が立ちあげられたあと、内戦(西南戦争)があり、国家間の戦争(日清戦争、日露戦争、2度の大戦)があった。外からの経済の大波もあった。本書は、そのようななかで、産業がいかに育ち、戦争と関与し、変貌していったかを追うものだ。
よく言われているように、国家によって集中的に栄養補給され、あるいはそれを背景に民間が伸ばしていった産業がある。それは繊維であり、鉄道であり、鉄鋼であり、機械であった。日清戦争において広島に大本営が置かれ、臨時首都となったことも、鉄道が広島まで整備されていたことに起因する(>> リンク)。
そして、オカネを使ってうまくそれを後押しするために、三菱・三井などの政商や銀行が必要とされた。近代社会は経済のフローを不可欠とし、その血液がオカネであるからだ。
かたや、ストックという面で非常に印象的なのは、朝鮮、台湾、中国への軍事侵略にともない外地で増やしていったストックが、日本を次第に後戻りできない足枷と化していったこと。そしてその逆に、日本は、日本への外資の流入を極力拒絶し続け、そのことはフローにも悪影響を及ぼし続けた。その代わりに、フローへの栄養補給は外債によって、であった。さらに、フローの行き先として、軍事が無理やり増えていった。
本書には、このようにアンバランス極まる経済発展と産業育成を続け、それと並行して、日本自身が対象となっていたはずの「黄禍」的な視線が、日本から他のアジア国に向けられていくプロセスが詳述されている。勿論、私たちはこの歴史の先っぽに立っている。