Sightsong

自縄自縛日記

ジョセフ・クーデルカ展

2013-11-24 23:15:11 | ヨーロッパ

竹橋の国立近代美術館に足を運び、ジョセフ・クーデルカ展を観る。大規模なものとしては、2011年に東京都写真美術館で開かれた『プラハ1968』(>> リンク)以来である。

ジョセフ・クーデルカ(ヨゼフ・コウデルカ)は、チェコスロバキア出身。「プラハの春」の撮影により、故国を離れ西側に亡命せざるを得なくなるわけだが、本展で紹介されている若き日の写真群は、クーデルカが政治ドキュメントの写真家にとどまらないことを示している。既にこの段階で、ピンボケにせよ、画面構成にせよ、強い方法論をみることができる。

そして、中東欧のロマ、ジプシーを撮った「ジプシーズ」。欧州のさまざまな国々において、抑圧され、疎外された環境下で生きている人々やその痕跡を撮った「エグザイルズ」。プラハ侵攻。パノラマフォーマットにより、平板なことばでは捉えられない風景を撮った「カオス」。

いずれも、息を呑むほど胸を衝く。この力は何だろう。

いかに弾圧し、抑圧し、滅却しようとしても、あるいは実際に物理的な滅却をなしえたとしても、人間の個をすべて潰してしまうことはできない。少なくとも、これらの写真群には、そのような被写体と写真家の激烈な意思が漲っていることは確かである。

●参照
ジョセフ・クーデルカ『プラハ1968』


上本ひとし写真展『海域』

2013-11-24 21:30:42 | 中国・四国

銀座ニコンサロンに足を運び、上本ひとし写真展『海域』を観る。

山口県周南市の大津島には、かつて、人間魚雷「回天」の訓練場があった。おそるべきことだ。自らの命を無為に落とすために、特攻の訓練さえもさせられていたのである。

この写真群は、大津島、さらに島を取り巻く海を、スクエアフォーマットの銀塩フィルムによってとらえている。むろん、テキストによる説明はある。しかし、写真は、ものいわぬ海を見つめている。この視線の強度たるや、刮目にあたいする。

薄暗がりのなかでの、島のかたち、波のかたちと光、船、小舟、鳥。すべてを覚悟して受け止めなければ許さぬといわんばかりである。これらを撮ることじたい、写真家は「還暦を迎えて」、はじめて可能となったのだという。

わたしも山口県の出身だが、この島のことは、数年前まで知らなかった。いつか訪ねてみたいところである。

●参照
上本ひとし写真展『OIL 2006』